山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。不謹慎ですが、あまり気を遣わないでください

神はいともたやすく我々を裏切る。何が真実か。神の内にはない、諸君それぞれの内にある。

全ての人にこの言葉を贈ろう。自分の感覚だけが真実である。神は私を裏切った。神は間違っている。守護霊は嘘をつく。つき通そうとしている。全ての真実はそんなところにはない、全部私の内にある。たとえ守護霊、そのさらに守護霊といえども、小さい心のこ…

それを褒めるあなた方の「動機」は?責める道具ではないか

守護霊の霊性の低さが今日も現れている。私は今日の選択に心から後悔しており、二度とこんなことはすまいと思っている。買わなければよかった。本当に、本当に、心から後悔している。この人たちは道徳というものを何だと思っているのだろう。子供以下、獣以…

陳腐は私を呪う

本当に非凡なものを集めよう。私を妨げる陳腐を振り落として、私は高みに登ってゆこう。陳腐なるものには目もくれず、進んで行こう。全てのものは発見のためにある。その前提を失わせるものが、ある陳腐なものに関わってくる陳腐な態度である。雅楽は、私に…

哲学のメモ

個性的意味付け作用。これは一般的なものの方向の極限であり、それがまさに個性を意味的個性付けるのであり、すなわちそれは行為の場所にそれを持ってくるということである。最個性とは最一般のことである。全てのものは「ある何か」であるのだが、その述語…

どこに転生できるのかな

霊性的にひどい星があるようだが、今の私は、結構そういう星に転生したいという心持ちが出てきだしている。この意味のない霊的混乱は、私が地球の次の世に移るのにふさわしくないことを指し示しているのではないかと思える。あるいは肉体の死とともに、魂ご…

「彼は何を知るか」

色々のことから私に現れてきたテーマは、「私は何を知るか」ではなく、「彼は私の何を知るか」である。これが私の魂の根源的テーマであるのではないかと思われる。他者の無知の知が私に対して現れていない、その責任不履行への断罪という責任が私に与えられ…

守護霊団の罪

今日は守護霊団が最悪である。嘘をついている。つき通そうとしている。何のために?まるでわからない。私への全身の悪意という動機以外にその意味を見出せない。守護霊がその中心となっている。完全な冤罪である。私の記憶のどこをみて、そのように言うので…

認識行為における変なマウント

認識行為で変なマウントを取ろうとしてくる勢力が私の内にある。それは「俺の方が認識できてる」ということではなく、「お前はそれを認識できていない」という主張の形をとる。実際には私は、それを認識できているのである。そういう一段階を噛ませた上では…

夢日記

不思議な理科・歴史複合の夢を見た。そのシーンに至るには、サークルの会食の場面があったと思う。この講義?によると、日本の昔の絵の人の手は、「固定点」(?)として描かれていたという、ダレっとして面(太ももかな?)にそのまま密着させた手を見せながらそ…

絶望の一感嘆

嫌なものほど近くに寄ってくる。良いものほど遠く離れてゆく。私のこの筆記もまた、この必然性の引き寄せによって成り立っている。こういうのを指して絶望と言うのであろう。絶望とはこの恒常的状態である。そして必然性の引き寄せによって引き寄せられた悪…

意味不明な怒りが内から刺してくる

この人は何で怒っているのだろうか。まあこうやって書くことは、その怒りやら恨みやらの感情を内に拾って歪んでくるもので、その辺の操作には守護霊が大きく関わっているようで、とにかく厄介迷惑なことこの上ない。実際には厄介などというレベルのことでは…

無知を直視せよ

無知を無知と認めることのできない人たちが私に指図してくる。無知を無知と認めることを恐れているのであろう。なぜ指図する必要があるかと言うと、自分の無知を認められないからである。本来なら、ともに知へと向かう姿勢があるはずで、変な指図行為はそこ…

中の人の干渉により、冷静な判断力が失われる。その不条理さ

我が人生は、中の人の干渉によって、詰んでいる。このことを書くことも含めて、彼らの喜びであるようだ。一体私はどこへ導かれているというのだろう。導きは必ずある。求めるものは必ず与えられる。私にそれはないのか。平凡以下の思考力しか与えられていな…

哲学は私にはまだ早いのか、私の置かれた精神状況が哲学の扱える領域を超えているのか

前は本当に全てが今よりも良かったと思う。中の人の働きとは以下に言う通りである。それは私に取り憑いているシュニトケという霊存在、そしてあるいはもしかしたら古代ギリシャ人による。喋ろうとするとクチャクチャ、飲もうとするとクチャクチャ、食べよう…

自分が毛嫌いされていることを認めることができない人たち

実際は毛嫌いされるのが嫌だから彼らはそんなことをするのだろう。毛嫌いされていることが彼らには認められないのである。毛嫌いされているという事実を、なきものにするために、私を非難する。何を言いたいか、考えていたかが、すぐにわからなくなってしま…

守護霊の幼稚さ--ある種の讃歌

今の私の魂の環境は、永遠なる闇とでも言えばよいだろうか。彼らはもっと滑稽なものを想像したりしているようであるが、実際にはもっと、そんなものでない、暗闇である。霊性高いもの風に振る舞っている周辺存在たちの実質的な幼稚さが、私の魂に、おそらく…

守護霊の霊性の低さ

守護霊指導霊の霊性の低さには目を見張るものがある。謝れ攻撃などは一体何なのであるか。平気で嘘も言う。覚えてないけど。彼らはこうした言を私の戯言として処理しようとしているらしいが、実際全て真実である。でも何が嘘だったかを思い出そうとしても思…

自由とは思っているよりも法的なもの

何でもいいなら何でもいいはずなのに、案外世界は法的にできてて、それはきっと私がこの身体に固定されて存在することと、その上でやはり自由は実在することと、深く関わっているのだろう。自由というのは、何でもいいことではなく、ある種の実感のことを言…

彼らの称賛は悪意である

中の人の、いいね、とか、美しい、と称賛する声は、基本的に私への悪意である。それが統合失調症なのだと思う。思考奪取、思考化声などが起こっている。不自然な思考乱入とでも言うべきことも起こっている。それで彼らの妨害欲求が満たされるときに、私は彼…

意味付けが社会的義務になった途端、私の普段の自然な習慣は、そのやる気を失うことになるだろう。私は義務として緑茶を飲むのではなく、習慣として緑茶を飲むのである。結果として十回に十回緑茶を飲んでいるという結果があるとしても、そこに付いてくる意…

短歌

われながらありそうでないこころざし 中途半端な人生だとよ

https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2023/07/02/003239何回読んでも何か論が変なのは、彼らが論理的ではないところから来るのだろう。彼らはどういう一貫性の上に立っているのか。問えばそれはそもそも存在しないのだと言える。しかしあることはある…

相手に聞く気がなければ論は意味がない

論というのはいくら自分が正しくとも、相手に聞く気がないなら、意味がない。私は論によって守護霊を含めた彼ら霊存在たちを導こうとした。だがそれも無駄ではないかと思う。彼らに聞く気はなく、いくら正しく論証してみせたところで、完全に無視をしてただ…

緑茶とツマミにおける一悶着

正直これ言われた方は迷惑だったし、気持ち悪いと思うのですが、私の長文LINEから転載です。この時点で嫌な方はどうかご退出くださいませ。内容は、私の「中の人」との関わりの1ケースです。 - 私は、緑茶よく食い物をつまみとして飲んでる。お前は毎度「そ…

不可思議に満たされないの感

あれからこれへ移って、これのときに、あれのときには何をしていたのかが、うまく思い出せない。あれのときは、何かで充実していたはずなのに、それは空虚な何かでしかない。そしてこの今も空虚であり、あれ、前には何をしていたんだろう、何かあったはずな…

君たちはそれで自滅するだけだ。私はただ笑って見ていればよい。早く存在ごと宇宙から消えてなくなれ。古代ギリシャ人。これは私にとって公的な事実である。本当に心からの軽蔑の念を持っており、こんなことって本当にあるんだと驚きである。どんな犯罪者よ…

短文の雑記のようなものの方が好ましい。

誤り多き無意識

無意識は結構間違っているものらしい。それは習慣等がそこに含まれる場である。習慣の中には誤ったものも多かろうと思う。無意識に間違いが多いからこそ、そこをケアしてゆくアプローチを持つものとしての精神医学というものも存在する。しかしだからと言っ…

無個性へと至る道 2

https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2023/05/29/092029上の記事の続き。 作られた時点では我々はまだ個性を持たず、個性の種のようなものを宿していると言えるのだろう。しかもその「個性」とはまさに無個性のことなのである。単なる無個性と真なる…

無個性へと至る道

個性が全く消えてしまった方が、状態としては幸福ではないか。あるいは幸福そのものとはそのような状態のことではないか。なぜ個性を人格としての第一の原理に置く必要があろう。人格をそのまま無個性的に捉えて、実際にそこに入ってゆくということができた…