※思考の過程をそのまま書いただけのものですので、間違いを多く含んでいます。なので間違っても勉強の参考にしないでください。あるいは人間の普通に考える道筋とはこんなにも多く誤解を含むものなのだということを体験できる文章となっております。おそらくは、電流などについて理解できない素人の素朴な疑問を集約したものとなっているはずです。そういう意味では参考になるかもしれません。誰かわかる人がわかりやすく解説してくれればいいのですが。
閉じた水路があるとする。水路のある地点で、水が時間ごとに流れるその量を観測する。水圧が仮に1であるとき、1秒につき1リットル水が流れることがわかった。ここで水圧を2に上げたとしよう。このとき、1秒あたりに流れる水の総量は2リットルであることになる。ところが、この二つの場合において「水路全体」の水の量は変わりがない。この場合の延べ通過水量の単位を仮にワットとでも呼んでおこう(L per s)。ここでは時間あたりの水量が1ワットから2ワットになるという変化が起こったことになる。それはこの場合もっぱら、「水圧」の変化によるのである。
次に、この水路の流れる水の量を2倍にしてみる。例えばこれは、水路の幅を2倍に拡張してやるなどという手段によってである。このとき、水圧1であるのに、1秒ごとに流れる定点における水の量は2リットルであることになる。これでさらに水圧を2にしてみるならば、1秒ごとに流れる定点における延べ水量は2×2=4ワットであることになる。話は前後するが、さきほどの段落で述べた局面において得られた2ワットと、この段落において述べた局面で得られた2ワットは、要は一定時間あたりの定点における延べ水量は等しいことになる。前者は水圧を上げたがために、後者は水量を上げたがためにともに1ワットから2倍の2ワットに変化したことがわかる。この両者の尺度は「掛け合わせ」の関係であることがここからわかる。
水圧が一定ならば、総水量が、ワット数を左右する。水量が一定ならば、水圧が、ワット数を左右する。事実上、水量があって、それが全く流れない、すなわち水圧ゼロであるということは、この場合考えないし、考えたとしても、要するに定点における通過水量はゼロとしてカウントされるだけであり、これは「水量」というワットに至る主要な原要素が存在しながら、全く無水、枯れ池であるときと同じ水的扱いを受けるということが、考えてみれば少しややこしく、心情的にはおどろかしい。お堀のような閉じた回路にして水流が全くないという状態は、このような「水力」にとっては、全くの無意味、無、として扱われるのである。せめて水力化への可能性、潜在性ということを、この状況においても諸氏には汲み取ってもらいたいものである。しかし私がここで発想している回路は、実働する回路であるから、水流がゼロであるなどということは考えない。電気の量とは、単にそこに停滞してある固体的な量ではなく、流れてこそ、定点を通過する延べ量としてこそ、おっと、「水力」の量として意味があるのである。ワットという水力、においてはゼロになるものでも、その要素を見てみればゼロではなく、お堀の水のように充実した内容を持っているというようなことがある。これは掛け合わせの要素にゼロがあるために起こるマジックである。逆に水圧のみがあって水のみがないなどという状況はそもそも考えられない。故に実体的には水量という尺度の方に、水圧という尺度よりも、分があるのである。
このように電力量というのは、実体の量を言うのではなく、関係によって生じてくる量について言われるのである。
今回はそんな中学校の理科の復習でした、以上。
9/12追記:
水路の定点の周辺のみを、2倍の幅にすれば、それで見かけの水量は上がるのではないかと考えることができる。つまり、全体の水量をほぼ変えずに、水量(アンペアと言いたい)を変化させることができるという反論が考えられるのである。これについてはいかに考えるべきだろう。
定点付近のみを2倍幅にした水路という状況からして、水の流れ方はどんなものになるかということについて想像してみよう。この水路に変更する前と同じ水圧を総体として保ったままこの水路を循環させてみるとどうなるだろうか。つまり圧をかけるのに同じエネルギーをここでも使うとどうなるだろうか。当然ながら、水量がわずかではあっても、多くなっているので、そこには水の流れの停滞が生じると考えられる。すなわち定点において、前の場合と同様の「水圧」が欲しければ、圧をかける全体のエネルギーそのものをそれだけ増やしてやる必要があるのである。もし水路全体が均一に2倍の幅となり、それに合致する水量を流したとして、定点において前の場合と同じ「水圧」を得たければ、結局は総体としては、2倍のエネルギーを必要とすることになる。それは子供と力士の関係のようなものであろう。同一水圧であるということは、必ずしも、圧をかけるためのエネルギーが同一であることを言わない。むしろ総水量に応じて、それに見合う必要な同一圧のためのエネルギーは、その都度異なるのである。
少し遠回りの思考であったが、こう考えてみると、実際「定点」におけるその都度のアンペアが、電流であると言ってよいのではないか。つまり私のこれまでの考えは誤りで、水路における水の総量がアンペアであるわけではないということがわかってしまった。ここでアンペアと言ったものは私がさっきワットとして定義したものと同じであることになる。これは重大な間違いである。確かに、無限に長い回路というものを考えても、そのうち様々な地点の「定点」において、ある一定の限定された量の水流がそれぞれ存在しているということが言え、回路が無限に長いからそれに伴って水流が無限の値をとるということにはならないのである。
水流だけが一定で、水圧のみが変化するということは考えられるだろうか。つまり定点において流れる水の量を一定にしたままで水圧のみを変化させられるだろうか。そんなことをすれば、定点における水流も、それに伴って増減するのではないかと、私には素朴に考えられる。そこで私は水路全体の水量ということを発想して、そこにアンペアの定義の根拠を求めたのである。しかしその考えは間違いであることがわかった。なぜなら、繰り返し言うように、アンペアとは定点において一定時間に流れる水量だからである。かける水圧を強にして水流を「一定」にするようにすると、そのときだけ例えば水路の幅をその部分だけ「絞る」ことによって、より少なく水を流す必要がある。それであってはじめて、水圧によらずに水流が一定であるというあり方を実現することができる。
それとも、一定の水流があるなかで、水流をそのまま同じ量に保ちつつ、その「圧」だけを変えるというあり方はそもそも可能だろうか。私はもともと流れる水の速さをすなわち水圧として発想したがために上述の問題にぶち当たったが、もしかしたらそのようなことは可能であり、そうであるからこそ、A・V=Wということが可能になると考えられる。しかしそれで片付けてしまえば私の考察、すなわち水路の水流に結びつけて考える直感的な考え方は完全に瓦解してしまうことになる。水量を増減させないで圧力を増減させるという考えは、物理学的には正しいながらも、私の直感にはどこまでも合わないものとして存在することになる。故に私はA・V・=Wという考えを理解することができない。ただそういうものだと教えられ、計算するということしかできないことになる。これは納得が行かないのである。
要するに私がわからないのは、水路の水流において「電圧」にあたるものが何を指すかということについてである。電圧が速さによって考えることができないならば、その圧力とは一体どのようなものなのだろうか。それともやはり電圧が高圧になればなるほど、そこに流れている電気を「絞って」、アンペアが一定になるように操作するという手続きが、例えば1A・1Vと1A・2Vすなわち同電流間の異電圧の関係において存在するのかという疑問が生まれる。同じアンペアで、ただ電圧のみを操作しようとするとき、アンペアの側には特別の工夫は必要でなく、ただ単に電圧の側をいじればよいのか、それとも電圧を上げればそこで何もしなければただちに電流も多くなるということになるのであるか。それともまた、電圧のみを変化させようとすれば、電流が「絞られる」現象が自動的に起こるようになるのだろうか。実際電圧につられて電流が自動的に増減するのなら、これらの間の関係は掛け合わせの関係ではないことになり、それ故にこのときワットという単位は成り立たないことになる。これら両尺度はそれぞれ独立の観点である必要がある。現時点考えられるなかで最有力なのは、最後に挙げた、電圧の上下に伴って自動的に電流の「絞り」が生じて電流が電圧に依存せずに一定に保たれるように働くという説である。これは水路の例から考えて、いささか直感的には不自然なあり方となるが、電気とはそういうものなのだと言われればもう仕方ない。そういうものなのである。
どなたか、こんな私にもこの疑問に対してわかりやすく説明してくれる人がないかと切に思う。
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話は二転三転する。この問題は水路の例によっても考えられることであった。よく考えると、水路において一定の「圧」をかけたまま、水路の幅のみを狭くすると、それだけで水圧そのものは上昇することが想像できる。仮に横縦2×4の水路と1×8の水路を考えてみる。後者の細い水路の方が、水に一定の圧をかけたときに、より高い圧力で水がそこを通り定点を通過することがわかる。この両者において水の体積は同じである。またここで同じ圧をかけているのだから、水がこの両水路を通過するための時間は等しいと考えられる。このように考えるならば、水量は一定でも、水圧のみ変えるというあり方が可能であることになる。私は今まで一体何を考えていたのであろうか。尺8の速めと尺4の遅めとでは、結局総体的な通過時間は等しくなるではないか。
ここで、反論としてかかげた最初の疑問に立ち返ってみようと思う。これに関しては、そもそもアンペアというものが、水路全体の水量に関してでなく、定点を単位時間あたりに通過する水量について言われるものであることを認識することによって、霧消することになった疑問であった。この疑問においては、水路全体の水量を変えずに、アンペアを変化させようとして考えたのであるが、そのようなことは可能である。それはズルでもなんでもなく、定点を通過する単位時間あたりの水量こそがアンペアの本質であるので、水路全体の水量が1であれ100であれ、一定の状況を定点の周辺において作り出せれば一定のアンペアを得ることが可能である。そしてここで水圧を強くし、しかもアンペアを同一に保つには、要は水に速さを持たせるために、より細い水路をここに導入すればよい。そこに一定の圧をかけていれば、細い水路においても、元の水路においても、水路の体積さえ同じであれば、一定の時間にこの一定の基準水量が通過し、つまりアンペアとしては同じ値を得ることができるのである。これがアンペアを変えずに、水圧を強くする方法であった。
以上で、私自身の疑問は解消されたであろうか。また何かあったら、その都度考えてみたいと思う。今度こそ、中学校理科の復習でした。