山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

守護霊の霊性の低さ

守護霊指導霊の霊性の低さには目を見張るものがある。謝れ攻撃などは一体何なのであるか。平気で嘘も言う。覚えてないけど。彼らはこうした言を私の戯言として処理しようとしているらしいが、実際全て真実である。でも何が嘘だったかを思い出そうとしても思い出せないんだよなあ。だからここに論拠をあげてそれについて論じることが難しい。こうした嘘などが起こってくるのは、私が意識と無意識の狭間に思考をプカプカ浮かべているときであることが多いから、というのも、私がそれを覚えていない原因の一つだと思われる。

私は守護霊や指導霊を指導しなければいけない立場にあるのではないか。毎日の現実は私に対して「そうである」と言っているようである。





彼らの口癖に「君が悪い」というものがある。これは私が意識と無意識の間にあるときに起こってくることの多いシチュエーションである。その全てにおいて、私は間違っていない。彼らのその発言以前の根源的態度、私への態度そのものが、間違っている。ただこれについても、具体的にどういう例があるかということを思い出すとなると、思い出せない。思い出せたら何か書こう。そもそも私が悪いことが起きたなら、誰に言われるでもなく、すぐに私自身がそのことを自覚する。それを外から言おうとしてくる点が不自然なのである。無論人から言われて何かが悪かったことに気づくような場合もあろうが、私のこの周辺環境については、決してそういったものではない。動機が私への悪意、謝罪行為による服属要求なのである。それは、私の内的感覚によってはっきりとした事実なのである。

彼らのこの口癖の背後には、私が恒常的に、自己の悪を悪と認めない態度を持っているのだ、という思い込み、私へ限定の性悪説のような前提がある。まずそれは人間の尊厳への侵害であり、その態度そのものが人として間違っている。そのくせ彼らは、私に対して人として云々とこれまた口癖のように言うのである。もっとも、私も、彼らが自己の悪を悪として認めていない者だという認識を持っているのであるが、私のそれは「認識」であり、彼らのそれは「思い込み」なのである。

だからとでも言えるが、私は謝罪を求めず、認識を求める。彼らはただその事実について認め、態度を改めてほしい。

今作業を10分ほどサボりながらこれを書いている。そのこと自体は罪である。





彼らの「思い込み」と言ったが、本当にただ思い込んでいるだけならば、そこに悪意はない。しかし彼らは実は真相を知りかけてはいる。つまり私への態度には悪意があるのである。事実を半分知りながら尚思い込みに止まろうとすることを悪意と呼ぶのであろう。

悪意の底には必ず偽への意志がある。それも偽を偽と認識していかけながらなのである。必ず真偽対立の図が彼らの心の内には現れてあり、思い込みは単なる思い込みという段階をすでに超えている。彼らは、偽を、「真」に「積極的」にしなければならないのである。偽を偽と認識するだけで済むものを、わざわざ事態に積極的に介入し、真実を歪めた形に置き換えなければならない。


例えば、私のこの行動を受けて、彼らのうちのある者は「オマンコクパァ」だと私に対して言ってくる(同時に思考を内的ニュクニュク感経由で妨害してくる)。意味不明すぎるのであるが、彼らの中では、そうした私への悪意でいっぱいなのである。それは偽への願望でもある。私の真の姿は彼らにとっては都合が悪い。気持ちの悪いことに、こうした彼らの思考奪取の活動が現実に私の思考活動をこんなにも歪める結果となっている。うまく考えがまとまらない状態となっている。




今日の雑記はここまで。思考力がキャパオーバーであり、そのオーバーとなった原因には彼らの思考奪取等がある。