山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

永遠の世界がエクスタシーだなどというのは嘘ではないか。今の私から想像できるようなものではない。私はカルマの団子のような状態らしくもあるが、そうでもないらしくもある。カルマという言葉によって、特定の向き合わねばならないことから逃げること、概…

なんでこう、謝れ、謝れ、とうるさいのだろう。普通の人は一日にそんな謝るのであろうか。私が特別悪い人間なのであるか。私は何か悪いことをしただろうか。彼らの言う罪というものは、ないと思う。あるのは、彼らの、変な性癖だけだと思う。なんでそんな性…

過去記事を受けて

https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2023/03/09/224026 を受けて なるほど、だから、彼らは、特定の「直観」だけを使うな、と本当は言っているのであり、全部の「直観」を捨てよ、と言っているわけではないのである。しかし、言葉としてはただ「直観…

直観を止めて、とよく言われるが、直観を止めれば、より良い「理解」が得られるのだろうか。すでに矛盾していることがわかる。こう書くと、中の人は、「いい心がけだよ」と、子供扱いしてくるのであるが、この態度自体、全くこの場面にそぐわないものであり…

流し読み、そこに使われた認識の労力というのを、私の認識能力の「限界」だと、無理やりみなしてくる。

同じような精神的境遇の人っているのだろうか。 これに尽きる。言葉では、うまく表現できそうにない。そこを突き抜けてみるほかないのであるが。 「君はこれでいい」という声は、一体何を勧めているのであろうか。そうであることのメリットは何であるか。彼…

頭の中で思考を反復する回路が乗っ取られて、そこに無限シュ○○ケパワーがかかってくる。これで私は大混乱意識割れ状態に陥る。今それに陥って、そのことを書いている。思考暴発状態とも言ってよいと思う。混乱状態であれば、必ず、粗のようなものが出る。そ…

簡単な比喩が理解できなくなった。日常生活のリーディングに支障がある。わからなくなって、考え出すと、考えることへのエネルギーではなく、中の人の「いいね」エネルギーが圧し来て、結局考えることそのものがあちらへ行ってしまい、本来の目的が果たせな…

何か読んだり考えたり書いたりしているときに、脳みその後ろ側あたりから、にゅくっにゅくっと干渉してくるエネルギーは何だろう。何か読もうにも、これでは邪魔で、文章が頭に入ってこない。こうして書いてるときにも「美しい」と言われる。肯定してはなら…

消すということが私周辺のこの環境のトレンドとなっているのか。そうらしい。書くことは私の逃げ場所ではなくなってしまった。消せ消せという声が、胸に感情放射とともに、聞こえてくる。この感情放射というのは、今の場合、心につららをまっすぐ刺されるよ…

私が日頃どれだけ責められているかを、肌感覚で他人が知れば、驚くだろう。今の場合は、ギリシャ人とスペイン人(という登録名で私のうちに存在する)、それに守護霊に罪がある。私はそれを認識する。非常にずるい。あったことをなかっことにして、あらを探し…

同種のことが立て続けに起こる。それに悩まされている。文章を書くことは、私の逃げ道とはならなくなった。(音楽でも同じことが起こったのだが)先に書いた文章を消せ消せと責める声が聞こえてくる。私は、何に、どこに非があるのかまるでわからない。

自分で書いていることが理解できないから、何度も読み直す。そのたびに謎が深まってくる。その悪循環。困る。

なぜこう罪罪言われるのかわからない。私はそこまで罪深くはないはずだ。ただ彼らの言うのとは全然別の意味で罪深く、それがまわりまわってこう返ってきてるだけのように思われる。因果応報、覚悟していても、期待通りのものが出てくるわけではない。一番都…

前回の続きしかし強いられることを満たしたその結果の産物自体には、意味があるのではないか。つまり、それは意味があるからこそ、強いられたのではないか。私が勝手にそれは無意味なものだと判じているだけで、もっと高いところから見れば、それは意味があ…

全てが何のためにあるかわからないが、強いられるということはある。強いられることに従い続けることで、日常というものができあがってくるもののように思われる。生きていることに意味はないようであるが、ただ強いられることだけが積み重なっている。こう…

信教の自由は憲法で保証されている。それを認めない人たちが束になって私に取り憑いている。私は信教の自由のもとに無宗教者である。それは宣言しておきたい。公言せねばならぬようなのである。 と書くと、「哲学あげて」と言われたので、彼らはここに書かれ…

罪というものは一体どこに存在するのだろう。私の様々な行いが罪であるはずはない。そうだと決めてかかる執着する誰かの思念が、私の幽体にこびりついている。出したものは返ってくると言うが、この人たちにもそれは言えるのである。この人たちが不実であれ…

私の実感では指導霊とか守護霊というべき存在はない。私の意思を反射的に阻む存在たちは指導霊ヅラしてここに鎮座している。私にはこの程度の人材しか割り当てられないのだから疑うべきは私の霊格である。しかし私はこの人たちほど霊格が低いはずもないので…

災難が現に起こっているところでは、第一に同情の念が必要なわけはなく、まずは慌ててそれに対処しなければならない。そして被害がより少なく収められればそれが一番よいのである。結果として対処ができずに、実際の災厄となってしまった場合、最終的に同情…

私は中の人たちのことを理解している。中の人たちは、私が彼らを理解しているとは思っていない。おそらく、そのために、私の筆記というのは、馬鹿にされるような意味で「非常に良い」と言われるのであろう。この人たちにはこの人たちなりの価値判断の基準が…

これはいいという、ふと思いついたような発想に反射的に反対するエネルギーを感じる。そんなことがとても多い。今日も一日中、だらけてはいたが、こういうこともあって、不自由であった。「非常にいい」という声がまた聞こえてくる。中の人の声である。何が…

私はそこまで自罰的ではない。はっきりと、外から(つまり「内」から)「お前が悪い」と言われ、そして言われ続けている。原罪のような意識は私にはないが、外からの言明によって、やはり存在しているような格好となっている。人格的自覚として原罪を意識する…

神はなしと悟る。いつごろからだろうか。天国のなさに気づいたころからぐらいだろう。これを悟りと言ってもいいが、私の霊の属するところの負け惜しみとして認定するしかない。私がその最終責任者であるとしてである。天国は、本当はあるのだと思う。ただ私…