2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧
https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2023/05/29/092029上の記事の続き。 作られた時点では我々はまだ個性を持たず、個性の種のようなものを宿していると言えるのだろう。しかもその「個性」とはまさに無個性のことなのである。単なる無個性と真なる…
個性が全く消えてしまった方が、状態としては幸福ではないか。あるいは幸福そのものとはそのような状態のことではないか。なぜ個性を人格としての第一の原理に置く必要があろう。人格をそのまま無個性的に捉えて、実際にそこに入ってゆくということができた…
守護霊には私の心の声は届かない。もうそうなっている。それで銀河は決まっている。野次馬で聞き受けたぞという印が来る。つまりそういうことなのだ。私は心の底から彼を憎む。本当に肉体を持っていないのは、こういう時には卑怯なことである。罪をお前が認…
私は中との関係でいっぱいいっぱいなので、外の他人と関わる気力がない。私があって相手がある、というのではなく、その間に「中の人」が挟まる。だからそこでいっぱいいっぱいとなり、他人との関係は二の次となる。これを書くことも、他人に向けてであるは…
バイタリティが欲しい。外出することに何も抵抗を感じない、というよりもそのことに疑問を感じない、気のベース力が欲しいと思う。大抵の人は、苦労をしつつも、そのような能力を、社会的標準に照らし合わせて半ば強制的に、当たり前のものとして持ち合わせ…
今日もとても素敵な一日でした。今日関係を持つことのできたみなさん、本当にありがとう。の心で毎日を過ごしたいものだね。まずは形からということで、こんなふうに、周りの事物・人物へ感謝を捧げることをしてみよう。大霊に感謝である。もっとも、大霊の…
なぜこんな環境が与えられた?頭が全然働かず、文字がまともに読めない。そしてそういう形で自己主張してくる存在がいる。私の頭が使えないことが好都合なのである。いいね、って来たよ今。それで哲学あげて、だって。彼らは私に何を求めているのか。ただ構…
普通の文章が理解できなくなっている。認識力の圧倒的低下の問題がある。その要因として中の人たちの思考阻害がある。だが中の人たちは、「ともにわかろう」としないのだろうか。思考力低下を喜ぶくらいなら、私とともに私が理解しようとしていることを理解…
以下書くことは、私が倫理的に誤っているのかもしれないが、率直な意見とともに私の症状について書き記してみたものである。 ニュースをみて「すすり泣き」しなかったことで責められる。このニュースとは、悲惨な事故に関するものである。死ね、いい加減にし…
https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2023/04/08/162101 この記事で書いたことについて、また思うところがあったため、再考しながら考えを書き出してみようと思う。 - この私を彼らは、存在ごと否定したいからこそ、ありとあらゆる手段で妨害行為・攻…
この先どれぐらいいじめられ続けるのだろうか。文章に私の「素」じゃないものが混じってきて勝手に裁きを下してくるものだから困る。こう書こうとしても、書き始めた途端に、素、の私はある程度締め出される。したがって本当に思ったこと、言いたいことは、…
何書いてもきっと褒められる。思考奪取付きの賞賛が得られる。美しいと、また言われたよ今。であれば本当に美しいのだね、これは。とするならば、君たちは自分の犯した私への罪を認める、ということだね。であれば、君が私によく請求するような謝罪や土下座…
ワンネスとやらは、私にはないぞ。信じてるけど、私にはないよ。あるんだろうけど、ないよ、やっぱり。素直な私は今ごろどうしてるか。どうもしていないのではないか。素直な私がその「見て見ぬふり」とやらをしてるのだろうか。見て見ぬふり、とは、中の人…
純粋に楽しむことができなくなった。私の中には他人がいる。趣味に打ち込もうとすると、それをしながら、彼らの「罪罪」言う声が私の胸を刺してくる。と書くと、美し過ぎるなどと、野次馬心で言われる。彼らの精神の質の悪さが問題なのである、こういう現象…
いかに思考の檻に閉じ込めるかということが、私に取り憑いているかのものの命題である。直観止めて、などの言葉はそういうことを意味する。思考をやめれば、より広いところから創造的なエネルギーを得られるのだろうか。そうではなく、彼らは、思考を止めさ…
楽しいことがない。オナニーくらいのものか。楽しげに感じられそうな全てはオナニーであるような感じがする。私にとっては喜びはオナニーの内にしかないのである。書くこともオナニーなのであろう。それがもし楽しみに少しでも転じそうになるならば。
相手が露骨に理不尽であるからこそ、単なる病気とみなすことができる。相手にきちんとした理由があるならば、それは自己責任問題である。だが、そうでないのだから、これは病気なのである。