山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

哲学は私にはまだ早いのか、私の置かれた精神状況が哲学の扱える領域を超えているのか

前は本当に全てが今よりも良かったと思う。中の人の働きとは以下に言う通りである。それは私に取り憑いているシュニトケという霊存在、そしてあるいはもしかしたら古代ギリシャ人による。喋ろうとするとクチャクチャ、飲もうとするとクチャクチャ、食べよう…

自分が毛嫌いされていることを認めることができない人たち

実際は毛嫌いされるのが嫌だから彼らはそんなことをするのだろう。毛嫌いされていることが彼らには認められないのである。毛嫌いされているという事実を、なきものにするために、私を非難する。何を言いたいか、考えていたかが、すぐにわからなくなってしま…

守護霊の幼稚さ--ある種の讃歌

今の私の魂の環境は、永遠なる闇とでも言えばよいだろうか。彼らはもっと滑稽なものを想像したりしているようであるが、実際にはもっと、そんなものでない、暗闇である。霊性高いもの風に振る舞っている周辺存在たちの実質的な幼稚さが、私の魂に、おそらく…

守護霊の霊性の低さ

守護霊指導霊の霊性の低さには目を見張るものがある。謝れ攻撃などは一体何なのであるか。平気で嘘も言う。覚えてないけど。彼らはこうした言を私の戯言として処理しようとしているらしいが、実際全て真実である。でも何が嘘だったかを思い出そうとしても思…

自由とは思っているよりも法的なもの

何でもいいなら何でもいいはずなのに、案外世界は法的にできてて、それはきっと私がこの身体に固定されて存在することと、その上でやはり自由は実在することと、深く関わっているのだろう。自由というのは、何でもいいことではなく、ある種の実感のことを言…

彼らの称賛は悪意である

中の人の、いいね、とか、美しい、と称賛する声は、基本的に私への悪意である。それが統合失調症なのだと思う。思考奪取、思考化声などが起こっている。不自然な思考乱入とでも言うべきことも起こっている。それで彼らの妨害欲求が満たされるときに、私は彼…

意味付けが社会的義務になった途端、私の普段の自然な習慣は、そのやる気を失うことになるだろう。私は義務として緑茶を飲むのではなく、習慣として緑茶を飲むのである。結果として十回に十回緑茶を飲んでいるという結果があるとしても、そこに付いてくる意…

短歌

われながらありそうでないこころざし 中途半端な人生だとよ

https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2023/07/02/003239何回読んでも何か論が変なのは、彼らが論理的ではないところから来るのだろう。彼らはどういう一貫性の上に立っているのか。問えばそれはそもそも存在しないのだと言える。しかしあることはある…

相手に聞く気がなければ論は意味がない

論というのはいくら自分が正しくとも、相手に聞く気がないなら、意味がない。私は論によって守護霊を含めた彼ら霊存在たちを導こうとした。だがそれも無駄ではないかと思う。彼らに聞く気はなく、いくら正しく論証してみせたところで、完全に無視をしてただ…

緑茶とツマミにおける一悶着

正直これ言われた方は迷惑だったし、気持ち悪いと思うのですが、私の長文LINEから転載です。この時点で嫌な方はどうかご退出くださいませ。内容は、私の「中の人」との関わりの1ケースです。 - 私は、緑茶よく食い物をつまみとして飲んでる。お前は毎度「そ…