山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧

こんなことはもうやめよう。やればやるほど暗くなるばかりだ。

精神は社会に溶けて存在するのだとしても、溶けられる元である社会と溶けるものである私の精神とはやはり別ものであることになるのではなかろうか。浸透する、といったような言い回しがそうした理解を招くのだろうが、このような事態が本当のところは具体的…

概念は絶対分離者の統一の象徴である。概念のみ実体であるならば、それは絶対同一である。概念は実体としては存在しないからこそ唯一の実体であることができるのである。すなわち実体的には絶対に交わり得ないものは、概念において絶対同一なのである。そこ…

物を何かとして「見立てる」ことが可能なのは、人間が表現的だからである。物の認識の多様さは、人間の表現能力の深さと結びついている。 表現的意味が媒介となって、表現における要素と要素とは響き合う。そこにある「意味」とは言葉によって簡単に言い表す…

人間自身によって与えられない「規定」が物には備わっていなければならない。人間はそれを学んで、その上で物に規定を与えるのである。物理的性質というものはまさにその例である。何か形を造るにしても、まずこの物理的性質への理解が何らかの形でなければ…

物の物そのものにおいてはそれはどこまでも原子的なものということになる。それを否定し形となるものが物の自己否定と捉えられるのであるが、その物の形自体がまた自己否定的なものであり、それは概念の方向へと洗練されてゆくことにおいてそうなのである。…

実体性を概念の内にのみ求めるということ。普通に実体と言うときの実体らしさというものをどこまでも自己否定的なものとして捉える。否定の極点に純粋な概念としての実体が存在する。概念的なものであればこそ、表現は、人間と人間との媒介者であり続ける。 …

謝れ謝れとやたらに絡んでくる。これは古代ギリシャ人。

私の霊格の低さを証明する人があればいいと思う。その可能性が今のところ考えられる限りの救いである。話をきいていると、私の霊格はとても低いそうなのである。ならそれが原因でこんなことになっているのであるから、それが本当にそうなのであれば、それで…

何言ったって彼らは冷笑するだけ、いや冷笑「しよう」とするだけなのである。苦し紛れの冷笑主義、霊障主義である。こう書いても冷笑、いや冷笑「しようとする」である。わざわざこうした文章を上げさせようとする意図は、冷笑行為を続けようとするという点…

新しい、私を広げてくれる価値観が入って来ると、反射的にそれを嫌がる存在が私の内にいる。彼らの狡さは、そうなると、この価値観を「捨てて」などと言ってくるところに表れる。捨てて、と言われるべきは、彼らの持つ古い価値観の方なのであるが、この言葉…

心の底からの軽蔑の実感の記。くだらないが。こういうものは、社交辞令でなく、本当に、そういうものとは別物で、存在する。 私の通常状態は、超密集雑魚寝の状態です。これ、寝るときにはまさにこの通りこの言葉が当てはまる。しかし起きているときにも常に…

罪罪言われる状態、何とかならないか。瞬間的に思念が否定される。あまりに瞬間的であるから、何しようにも脱力してしまう。何かしようと思い立って、その念を熟成させて、実行する、というそのプロセスの第一の段階で反射否定が入ってくることが多い。別に…