山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧

人生の壁。できてはすり抜け、背後をつかれる。この壁は攻撃力を持っている。放置できる壁でもない。さて、それを「乗り越える」ことが正しい選択肢であるとも限らない。私は、ひとえに、それがなくなればいいと思う。 私は、壁を乗り越えようと企図する。す…

このスマホでの筆記という行為がおかしくなった。内的干渉によってである。文字の打ち込み方に作用してくる。 経緯: わ、を打ち込むとき、に、「濁点」と間違えて文字を押した。そこで、次に「わ」の文字を「しっかり見る」ことによって、わ、を打ち込んだ…

精神世界では、古い価値観等を「手放せ」と、言う。すごくざっくり言えばそういうことだ。しかし、手放しても、幻聴等でそれが迫ってくる場合は、どう手放せばいいのか。手放すということにはよほど高等なテクニックが必要になるものらしい。私も、その、大…

クチャ、は幻覚にあたるのだろうか。一体何に該当するのかよくわからない。実際の妨害行為であり私において表面化するものだから、「させられ体験」に当たるのだろう。そして半分は幻覚でもある、ということになろう。なぜならそれにおいて彼は内的認識の機…

私の場合は、幻聴は文脈的であるから気持ち悪い、ということになりそうである。つまり、「どこが問題なのか」が肌感覚で、一応わかる、ということである。その上で、相手が正しいことを言っているかをよく考えないといけない。幻聴だからと言って、全て突っ…

そもそも「責められ」には、妄想による文脈付けが伴っているものではないか。あるいは、大抵の「責められ」には、その背景にある文脈というものがなく、ただひたすらに責められるのであろうか。幻聴というものは、その人にとって文脈的なものなのか、そうで…

持病のことも、書こうとすると、途端に生々しい感覚がわからなくなって、結局モヤっとした感じだけが残ることになる。中の人が、私がリラックスしかけたときなどにポイントで刺すように責めてくる持病をなんとかしたい。これを治す薬はないであろう。なぜな…

では問うが、「嘘」でいいのか?これは本当に心の底から問いたい。スペイン人よ。そして他の彼らと一体となって私を責める者たちよ。 自分用メモ:強迫すすり泣き要求

やっぱりこれは勝負なのだ。負けてはいられない。 さして根拠のない「消せ」の声。負けるわけにはいかない。真剣勝負である。相手は仕掛けてきている。そのことにわざと無自覚なのであろうか。どうもそうでしかないようである。確かに過去に書いたことをある…

自己の同一性を生身の他者に対して保っているのは難しい。レゲエの人、古代ギリシャ人などの人格が加味されたものとしてしか、生身の私という人間はこれを表すことができないため、私の私という単なる自己同一は奥の方へ押しやられる。しかし私の私とは、現…

本当に考えられない。頭が使えない。 彼らが、いい、と言うのは、私が妥協したと「彼らから」みなせるときである。私は妥協していないが、ウーンウーンと唸りながら考えて、「ここで一切り」とする場面がある、これを彼らは妥協した理解だと捉えるのである。…

生命がそこに向かうところ、そこから外れている感じが強くする。荒れ果てた我が地へ、ようこそ。調子が人間の調子でないように感じている。昔の私比で、そう思う。荒みきった土地に居る感覚がある。今のように調子の悪いときには特にそう感じる。おまけに色…

頭が悪くなった。同じ問題を数年前の自分に考えて欲しいと思う。問題とは、北海道弁の「〜しょ」についてである。用言に付いて出てくる言い方である。この言い方が、「でしょ」ではない、そのことによって、どんな運用効率上の意味が、北海道弁という言語の…

私はよく中の人に褒められる。すなわち責められる。褒められることの理由は、私が彼らを断罪する日記を書くことにおいて「恥を晒している」らしく見えることである。他には、自虐的な神経症的態度をとった時(これは説明が難しいが、日常の強迫的行動と言って…

しつこい謝罪請求。幼稚。って書くのは美しいんだって。もちろん少しもそういう意味はない。彼らは下等生物なのである。少しは反省しろ。今日は調子が悪い。そこに具体的な理由はないのだと思う。さも何かあるかのように言ってくる人は無数にいるけれど。例…

君が悪いとひそやかに聞こえてくる。要するに私は正しかった。自分の間違いは棚に上げてそんなこと言えるものか。下等生物め。守護霊なりの負け惜しみである。 何故に、私にとって有益なハイヤーな声は聞こえて来ないのだろうか。何のメグリがあって私にはこ…

声とともに、縛る想念がある。声だけならば聞き流せるが、想念ごと迫ってくるのであれば、これをそのまま流すのは困難である。力を吸われたようなダメージから私を癒すための時間が必要になる。それは念消しとも呼べる。念消しには手間がかかる。スルースキ…

中の人の、非常にいい、という声は、私が私自身の筆記等に納得していない点がありかけたときなどに聞かれる。だからそれは、文字通り、いい、のではない。私が駄目になればなるほど、いい、のであって、それは私にとって有益だからではない。何かを書こうと…

では気まぐれだ。中の人たちの声は。というのはどういうことかと言うと、次にメモする通りである。CDコピーの件に関して。著作権法上違法ではないかとの懸念に対して。彼らは違法だと主張するのであるが、どこを読んでも私の行為は違法ではない。かたやYouTu…

幻聴には文脈がある。文脈があるからこそ、単なる単発性の幻として片付けることができない。しかしこの文脈というのも、多くの場合、妄想によって形作られたものであると考えられる。この絡まった糸をほぐすには、慎重で息の長いサポートが必要になってくる…

おかしなことに、彼らは、幻聴という手段によってしか、私とコミュニケーションを取ることができない。私を例えば導こうとするのにも、今まで異常に使われていた幻聴の回路を使うしかない、そしてそのようにこの存在たちも思い込んでいる。本当のコミュニケ…

とにかく色んなことにつけて責めようとしてくるのはどういうことだろう。気持ちの悪い悪納得の感という現れ方もある。責めることと、悪納得と、他にも何かあるだろうか。私が書こうとしたことを忘れてしまったときに、今悪納得の感が現れた。つまりお前は無…

私は日々、中の人たちに責められているが、漠然と責められるのではなく、問題となっているある種の事柄どもを巡って責められる。ニュースを見流すことの問題など、題はだいたい決まっているように思う。漠然と死ね、と言われるのではない。文章を書くときの…

中の人たちによる行為。口の中の「クチャ」に悩まされている。書いているときの、これを読む内語が「おねえ」っぽくされる操作に悩まされている。で、書いたら、その書いたことを喜ぶ。なぜなら、私がそれを認めたとみなすから。ふと何かをつぶやくにも、「…

私はひとりでに病んでいく。「死ね」。聞こえて来る声。なんとしてでもそれを言いたいらしい。死ねと言われると力を吸われてどうにもならなくなる。シャリーノのCDは断念しようと思った。でも買おうかね。そういうものに妨げられて諦めるというのは決して良…

直観は意識的直観に依存しないで存在するものかもしれない。ただ私の非意識的直観によると、誰かの下心が直観的に感得された。直観を捨てて、と中の人のうちのある人たちに言われることが多いが、意識的直観に依存しない直観は存在することから、そういう発…

本とか文章とか読めなくなったよ。本当に。また、書き出す途中で、あらんはずの語が頭から瞬間的に消えてなくなる現象が起こった。誰がそういう操作をしているのだろう。「本当に」のところは、本当は別の語が当てはまるはずであった。こんなことが毎日、本…

胸糞悪い。守護霊ともあろうものがそんなものであってはいけない。「もの」にあてる語は、それではない。思い浮かばない。こういう遮断も、彼らは意識的にやっているのだろうか。守護霊ともあろうものがそんな心掛けでいいものか。胸糞悪すぎるのである。で…