山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

哲学は私にはまだ早いのか、私の置かれた精神状況が哲学の扱える領域を超えているのか

前は本当に全てが今よりも良かったと思う。

中の人の働きとは以下に言う通りである。それは私に取り憑いているシュニトケという霊存在、そしてあるいはもしかしたら古代ギリシャ人による。

喋ろうとするとクチャクチャ、飲もうとするとクチャクチャ、食べようとするとクチャクチャ。そして自動的に外的衝動により変なギャー声が出る。この有様をリアルにお伝えすることは難しい。最近知ったのだが、トゥレット症という病気がある。ある程度これに近い状態である。


さて、書こうとしたことを書くその時にすぐ忘れてしまうのも、またこのクチャクチャが関係していると思う。クチャクチャを出すエネルギーが、こういう思考奪取と同じ源から来ていることがすぐわかる。私は上の段落で、さらに別のことを言いたかったのだが、書き進めると、思考奪取の作用で、それがわからなくなってしまった。それで、いつも、そういうこと自体について書くしかなくなってくる。

喋ろうとするとクチャクチャ、飲もうとするとクチャクチャ、食べようとするとクチャクチャ。

この後に、何が書きたかったんだろう。何かここにあって、それが文をリズムしていたのに、書こうとすると、肝心のことだけが、私の脳内から思考奪取されてしまうのである。




私はよく、中の人に、美しい、と言われる。こういうことを書いてるときに、よく言われるのであるが、それは決して褒め言葉ではなく、私の尊厳を最大限に貶めている行為である。彼らは私が無能力であることを望んでおり、思考奪取等の無能力化が成功するときなどに、彼らは喜ぶのである。古代ギリシャ人は、ここを、哲学のブログだと認識しているのであるが、哲学とは程遠い、私の無能力化状態における記述行為に対して、「これブログに上げて」と言ってくることが多い。純粋な思考力の卓越性に対しては、何も関心がないかのように。


まとめると、今日も、クチャクチャとそれに伴う?思考奪取への対抗に追われているということである。ちょっと不自然な言い方だが対抗に追われている、としか言いようがない。私はこれについて対処しなければならない。肝心のリズムしていたところは、何を書きたかったのか、忘れてしまった。それでもこれはこれなりに、今日の日記として一定の意義を持つ。哲学は私にはまだ早いのか、私の置かれた精神状況が哲学の扱える領域を超えているのか。