山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。不謹慎ですが、あまり気を遣わないでください

緑茶とツマミにおける一悶着

正直これ言われた方は迷惑だったし、気持ち悪いと思うのですが、私の長文LINEから転載です。この時点で嫌な方はどうかご退出くださいませ。内容は、私の「中の人」との関わりの1ケースです。

          • -


私は、緑茶よく食い物をつまみとして飲んでる。

お前は毎度「そうすると決めている」と中の人の声。

私、無意識にやっていることを強制的なものにするのは嫌だから、「そうとは決めてない」と言う。

一悶着。

そして私「じゃあ決めていると認めたらどうするの?」

ギリシャ人「じゃあ次から辞めろ」

なんと、食べ物たべて緑茶飲むことを禁止された。

これどう思う。意味不すぎるのだが。

もちろん私は変わりなく好きなように食べ物を食べたり食べ物つまみにして緑茶飲んだりすることを繰り返すであろう。







ちょっと伝わりにくいねこの文章





ギリシャ人と守護霊がほんとにタチ悪くて、謝れー謝れーってほざいてくる




食べ物食べ緑茶飲むという習慣は、寝たり起きたりすることと同じで、特に特別に「決めておこなう」ことじゃない。無意識と意識の境い目くらいで無意識にやってるほとんど自然現象と同じこと。




まあ要するにリラックスしてるところに、強制する力チンピラが絡んできて普通にリラックスすることができないという話。




理不尽ってこういうことよ。




正直書いて話聞いてもらっても解決する問題じゃないし、精神科の先生にもまず伝わらないし、書いていて虚しい。はっきりと相手が間違っているとわかっているのに、書いたところで大して効力はないのである。



例えばウンコ中に、ケツ筋の動き方を命令されている、そういう感じ。あり得ない




彼らは、私のこれらの言葉に対して、苦し紛れの言い訳とか何とか言ってる。ブーメラン。




でも寝るとか起きるとかは、普通決めてやるか。でもそう意図するだけで、眠りのつき方については人間の都合で決定することはできない、身体の自然作用に任せるしかない。だからそれは半意識的・半無意識的なのだ。

それと同じことが私の緑茶飲む習慣にも言える。





眠気は、人間が決めてるんじゃなくて、身体が勝手に自然に決めているわけである。そういうこと。





よし、食べ物食べて緑茶飲まなければならない!なんて心で飲んでる習慣なわけじゃないんだよ




中の人はツッコミどころ満載とか言ってるけど、具体的にどこかについては何も言ってない。この発言は彼らの出まかせだと思う。




食べ物食べた後は緑茶を飲むことに「決めている」わけじゃない。ただそうしたいだけで、そうしたい状態が何度も続くだけなのである。それを「決めている」ことなのだと言ってみても、社会的義務としてやっているようなことではなく、ただ自然にそうしたいからそうしている、そのことが習慣として続いているだけで、その二つのあり方は根本的に違う。

で、「決めている」に二つの意味があることになる。社会的義務と、単に自然にそうなっていることと。私は後者であるから、つまりは彼らの言う意味では全然「決めていない」。だから決めていないのである。





これらの文章読む気する?






私としてはちょっとしたツマミと緑茶が自然に無意識にできなくなってしまった強迫状態が、もうやっていられない。そういう状況に導いた守護霊団は非常に罪深いと思う。





書いてないこと書けないことたくさんあるけど、私って一人でいてもこういうのにずっと囲まれて生活してるんだ。他の人の生活とは多分全然違う。まあちゃんと働いてないから働いている人の気持ちもまたわからないけど。働いている人の辛さと私の辛さ天秤にかけてどうなるかはわからないのさ





日常的に長文LINE投稿するバイタリティはひとえにこの内側の状況から来ている。





これTwitterとかに書いた方がいいのかな。











でも寝るとか起きるとかは、普通決めてやるか。でもそう意図するだけで、眠りのつき方については人間の都合で決定することはできない、身体の自然作用に任せるしかない。だからそれは半意識的・半無意識的なのだ。

それと同じことが私の緑茶飲む習慣にも言える。

      • 先に書いたところ

ああわかった。そうじゃなくて、毎日寝たり起きたりすること自体には何の疑問も起こらないだろう。義務だから寝るとか、そんなわけじゃないだろう。でも義務でイヤイヤ寝るわけではない。寝るという行為を義務でするのじゃないだろう。    


確かに明日まで寝なければ明日仕事できない、とかはある。でもそれは、本来なら寝なくてもいいけど、あえて自分で決めて積極的に寝る、ということ自体を決めたわけではないのだよ。とにかく自分で課した義務として寝る行為を「寝ながら」意識的に行っているわけではないだろう。寝るという行為を意識的にできるのは、寝る前だけであって、眠っているその最中はただ自然の作用があるだけなのだ。

それくらい自然に、食う飲むは、やりたいことができてあとは自然に事が運ぶ、という事柄でしかないのだよ。

そんなところ。だからこの人たちはおかしい。






ブログに上げることにする。