山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

2022-01-01から1年間の記事一覧

こんなことはもうやめよう。やればやるほど暗くなるばかりだ。

精神は社会に溶けて存在するのだとしても、溶けられる元である社会と溶けるものである私の精神とはやはり別ものであることになるのではなかろうか。浸透する、といったような言い回しがそうした理解を招くのだろうが、このような事態が本当のところは具体的…

概念は絶対分離者の統一の象徴である。概念のみ実体であるならば、それは絶対同一である。概念は実体としては存在しないからこそ唯一の実体であることができるのである。すなわち実体的には絶対に交わり得ないものは、概念において絶対同一なのである。そこ…

物を何かとして「見立てる」ことが可能なのは、人間が表現的だからである。物の認識の多様さは、人間の表現能力の深さと結びついている。 表現的意味が媒介となって、表現における要素と要素とは響き合う。そこにある「意味」とは言葉によって簡単に言い表す…

人間自身によって与えられない「規定」が物には備わっていなければならない。人間はそれを学んで、その上で物に規定を与えるのである。物理的性質というものはまさにその例である。何か形を造るにしても、まずこの物理的性質への理解が何らかの形でなければ…

物の物そのものにおいてはそれはどこまでも原子的なものということになる。それを否定し形となるものが物の自己否定と捉えられるのであるが、その物の形自体がまた自己否定的なものであり、それは概念の方向へと洗練されてゆくことにおいてそうなのである。…

実体性を概念の内にのみ求めるということ。普通に実体と言うときの実体らしさというものをどこまでも自己否定的なものとして捉える。否定の極点に純粋な概念としての実体が存在する。概念的なものであればこそ、表現は、人間と人間との媒介者であり続ける。 …

謝れ謝れとやたらに絡んでくる。これは古代ギリシャ人。

私の霊格の低さを証明する人があればいいと思う。その可能性が今のところ考えられる限りの救いである。話をきいていると、私の霊格はとても低いそうなのである。ならそれが原因でこんなことになっているのであるから、それが本当にそうなのであれば、それで…

何言ったって彼らは冷笑するだけ、いや冷笑「しよう」とするだけなのである。苦し紛れの冷笑主義、霊障主義である。こう書いても冷笑、いや冷笑「しようとする」である。わざわざこうした文章を上げさせようとする意図は、冷笑行為を続けようとするという点…

新しい、私を広げてくれる価値観が入って来ると、反射的にそれを嫌がる存在が私の内にいる。彼らの狡さは、そうなると、この価値観を「捨てて」などと言ってくるところに表れる。捨てて、と言われるべきは、彼らの持つ古い価値観の方なのであるが、この言葉…

心の底からの軽蔑の実感の記。くだらないが。こういうものは、社交辞令でなく、本当に、そういうものとは別物で、存在する。 私の通常状態は、超密集雑魚寝の状態です。これ、寝るときにはまさにこの通りこの言葉が当てはまる。しかし起きているときにも常に…

罪罪言われる状態、何とかならないか。瞬間的に思念が否定される。あまりに瞬間的であるから、何しようにも脱力してしまう。何かしようと思い立って、その念を熟成させて、実行する、というそのプロセスの第一の段階で反射否定が入ってくることが多い。別に…

私に現れたのは、妥協霊人であった。彼は何か今よりも高いものを私に与えてくれるかのように振る舞っていたが、実際にはただの廃人生産であった。廃人というのは大げさすぎる。そうではなく、もっと妥協的な、何というのか、品位が安っぽくなるあの感じであ…

目の前のものとの関係が、内側の人の妨害によって、妨げられてしまう。私は他人と関係を作ることが原理的にできない。それでも、どうにかコミュニケーションをとるようにはしている。

この環境条件だと、明らかに私は進歩できない。であるのに、なぜこの状況が私に与えられたのだろうか。純粋に疑問である。不満ならば幾らでも出てくる。満たされた思いを口にできることは、ない。それでもこの与えられたものに対して感謝しなければならない…

なぜこんなに汚いのか、彼らは。逆に自由ということなのでは。何やっても元々ダメなら、何でもできるということでは。何やっても変わらんであろう。今まであったこだわりなど、あって無いようなものになるのではないか。なぜなら今までのこだわりから生まれ…

時間がいくらあっても、心に余裕がないために、気持ちのゆとりを持つこと、そしてそのゆとりから自由な行動に移ることができない。やりたいことが幾らでも出てくるというような状態には、とてもではないがならない。これだけの暇があれば、それくらいのこと…

頭を空にしても、より広がったところから何かを得るのではなく、単純な思考停止の檻に閉じ込められるだけになっている。私はボーっとすることによって何かを受け取るのではなく、狭い空間に閉じ込められる。思考の努力を止めることは、より広い場所に行くこ…

私にとって統合失調症とは、これまで書いた通りのものであり、その具体的な内実は、とても病院で先生に話せるようなものではない。一言で言うなら、おぞましい人たちが私の中に棲みついているということである。

うんこのモーションに「女」をかこつけられた。こう書いても意味が伝わらないと思うが、私もよく意味がわからないのである。とにかくうんこをするときの運動に「女」を入り込ませようとした「仕掛け」の感覚がある、ということである。具体的には、尻を拭く…

私はこれらの人たちを軽蔑している。こう書いても「上げて」と言われる。そう言い続けることによって逆に都合の悪いことを聞かないようにしているのである。どれほど性格がねじ曲がっているかわからない。要するに、私を「そういう人」であるに過ぎないこと…

この微妙な感じだと死ぬにも死ねない。書くことの意義が、周りの環境によって、なんとなくねじ曲がってきた。何書かれても、それを無理やり自分の都合に合わせようとしてくるのが、中の人たち。だから、彼らには都合の悪いことを書いているはずなのに、「上…

よってたかる霊がもっと私にとって機能的であるようになって欲しい。なぜよってたかってこんな事態を作り出すことがそもそも可能であるのか。私一人にそんな環境を生み出す要因があるのであるか。私にはそうは思えない。行きたい場所に行けた結果がこれであ…

私一人がどうでも、霊たちがよってたかって何かすれば、ここまでひどい事態を作り出すことができるのである。今文字が読みづらく、また書きにくいが、それもまた同じこと。霊たちがよってたかって何かしているがために、本来の私がここまで妨害されてしまう…

対象化することが倫理的に禁止される対象がある。こうした対象は、実際には生きた対象として人間の内に働きながら、多くの作用を及ぼすのであるが、これは、その当人にとっては、その立場上どうしても対象化して捉えることは倫理感覚上できない。だから、な…

中の人に本気で声を張り上げて怒ることがよくある。

発言勝利宣言がとにかく多い、中の人たち。「これでおわかり?」等。そしてかなりの場合間違っている。彼らは想念の一つ一つに絡みついてくるから、何か物を考えるということ自体が難しくなっている。持続的に集中すること自体が難しくなっている。想念の一…

病状が悪化している。私の場合それは、中の人の悪意が増しているということを意味する。口のところでの「ペチャ」が気持ち悪い。覚醒と睡眠の狭間のところにも仕掛けてきて、これと戦いながらでなければ、日常の動作一つも成り立たない。口のところでの「ペ…

一番苦痛なのは、男である私を、女であることにしようとしてくることであり、これほどおぞましいことはない。