山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。不謹慎ですが、あまり気を遣わないでください

持病のことも、書こうとすると、途端に生々しい感覚がわからなくなって、結局モヤっとした感じだけが残ることになる。中の人が、私がリラックスしかけたときなどにポイントで刺すように責めてくる持病をなんとかしたい。これを治す薬はないであろう。なぜなら発動がピンポイント的だからであり、脳の恒常的状態に作用する薬ではこの「ポイント」に働きかけることができないからである。つまり「常に責められている」状態を薬によって軽減することはある程度可能とは思われるが、ピンポイント的に、問題限定的に、それ、が来る場合は、対処のしようがない、ということである。個々の問題そのものを解決していかないと、この症状の回復に進展はない。私が服用している薬はある程度効いているのかもしれないが、ピンポイントの「感情の発射」という作用は、薬ではやはり抑え込むことはできないようである。「ある種の問題」に想念が触れかかるようなポイント、そこにまさにピンポイントで作用する薬、つまり人間の思考力をそれと同じように身につけた薬があるという話を聞いたことはない。

以上書いたことには、美しい、という評価をもらっている。もちろん、実際に美しいのではない。私が本当に書きたかったことが、ぬるっと心を透き抜けて、十分に果たされなかったことが、彼らにとっては都合がいい、ということである。私が書きたいことを書けないのには、思考奪取という理由がある。ことが多い。この思考奪取ができたという事態が彼らにとっては喜びなのであろう。

こうして書きながら、一息つきリラックスしようとすると、「死ね」という声が聞こえてくる。これはどうも私のそのような態度に対してピンポイントで向けられた責めであるようである。私が自己の精神の内に安らおうとする自然なモーション自体が彼らには許せないらしい。

私の持病は責められること、責められ続けること、しかしそれは漠然とではなく、ピンポイントに責められるということ。ある種の理由、らしきもの、につけてであるということ。私は常に、具体的事柄・脈絡・問題に関係なく、責められている状態にある、という状況を理解することはできない。したがって、私自身が統合失調症患者でありながら、他の患者さんが持っている「責められ」の実際の感じ方、つらさ、というものが感覚的に理解できない。したがって以上に書いたことを、統合失調症の症状として理解していただくには、これは少し不適切かもしれない。しかしここに書いたことはまぎれもなく私の持病であることは確実である。