山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。不謹慎ですが、あまり気を遣わないでください

そもそも「責められ」には、妄想による文脈付けが伴っているものではないか。あるいは、大抵の「責められ」には、その背景にある文脈というものがなく、ただひたすらに責められるのであろうか。

幻聴というものは、その人にとって文脈的なものなのか、そうでないのか、それによって、この問題への適切なアプローチの仕方は変わってくるものではないか。文脈的でない場合は、薬によって、脳内のホルモンバランス(?)に働きかけることによって、これをかなりの程度抑えることが可能なのだろう。だが、聞こえてくる声が、その人にとって文脈的であった場合はどうであろう。そこには、その人固有の生活から生まれてくるその時その時の固有の状況があり、そのことがそのまま「声」のする理由につながっている。だが、そのような文脈とて、「妄想」によって作り上げられたものであってしまう場合が存在するだろう。こうした場合、「幻聴への対応」のためには、どんなアプローチをとるのが態度として適切であろうか。無論それに対する適切な治療法というものが、現在の精神科医療において行われているであろうことは知っている。しかし、私は、文脈づけられた幻聴があって、その文脈なるものが単純に妄想とも言い切れないが多分に妄想的でもあるという場合において、一体こうした問題に対してどのような策を取ればよいのか、という問題につきあたっている。なぜなら、私は実際に精神科に入院して、そこでは、そうした問題をそうした問題として主題化した症状理解には出会わなかったからである。あるいは実際にはそうした問題をそうした問題として捉えているという態度があったにもかかわらず、私が医師の先生に十分な症状説明をしなかったことによって、すなわち先生との意思疎通が十分でなかったことによって、精神科の持つそうした態度に出会えなかったというだけかもしれない。実際この問題は、問題として正確に捉えることは難しいことのように思える。

以上書いたものには、私の不理解による不適切な表現等があるかもしれない。不快に感じられた方は、その旨コメントにて教えてください。