私はひとりでに病んでいく。「死ね」。聞こえて来る声。なんとしてでもそれを言いたいらしい。
死ねと言われると力を吸われてどうにもならなくなる。シャリーノのCDは断念しようと思った。でも買おうかね。そういうものに妨げられて諦めるというのは決して良いことではない。そんなものは振り切らねばならないのである。こういうもの・ことを存在させてはならないのだ。
だがもう買う気もなくした。シャリーノへの興味はその程度だったということにもなる。本当に買いたければ余裕で振り切れるものだろう。現代音楽とは私にとってそれくらいのつまらなさしか持たないのである。
これで哲学上げて、と微かに声がする。何の都合が良いのだろう。わかった私はシャリーノのCDを買おう。それが彼らへの、行動としての、抗議となる。れっきとした権利保守となる。私に人権を与えたまえ、お天道様よ。