山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

本とか文章とか読めなくなったよ。本当に。また、書き出す途中で、あらんはずの語が頭から瞬間的に消えてなくなる現象が起こった。誰がそういう操作をしているのだろう。「本当に」のところは、本当は別の語が当てはまるはずであった。こんなことが毎日、本当に多い。物忘れがひどいよということ自体を書くことにも物忘れが強力に作用してくるため、本当に単なる嘆きの口もなく、どう嘆いたらよいやらわからない。

とにかく、本とか文章が全然読めなくなったよ、本当に。


これ書いても、非常に良い、と言われる。私は毎度こういう醜い反応に、何々している、と書こうとした、その何々のところの語が、また瞬間的に頭から消えたのである。だから物忘れについて書いているさなかにも物忘れが作用してきて、何が何やらわからない。


とにかく、彼らには、この状態が美しいようなのである。私はそういう醜い反応に、ああ、本当に何も書けない。ただそのこと自体については書けるという具合であり、その部分だけ、私の理解能力、理性能力は保護されている。


文字が、とにかく、読めんのです。読みながら、頭を使おうとしても、変なモヤが頭にかかって、理解能力が狭い壁と壁の間でバウンドし続ける状況となる。この狭い壁と壁とのバウンドの中で、私はこの文章をひねり出している。

ある場所に来るべき単語が、頭に出てきているのに、そこに辿り着く前に頭からその語が瞬間的に遮断、抜けてしまうということが、特にこの今周辺には、多い。


何書いても、私のこの嘆きは、彼らにとって美しいものであるらしい。困れば困るほど喜ぶ。

今、中の人のうちのある人が、私が「真理に怯えてる」のだと言ったのであるが、全く意味不明、そして意味のない言明である。と書こうとすると妨害のエネルギーが覆い被さってくる。私はそれを振り切りどうにか書き出してゆく。この「書き出してゆく」には本当は別の語があったのであるが、何度も言った物忘れ現象によってそれが何なのかわからなくなった。そこには意図的な妨害の作用があるのである。そしてこれを書きながら、また、美しい、という言葉をもらう。私が混乱すればするほど、彼らは喜悦の感を持つ。




以上の混沌とした記述は一体何なのだろう。要するに、私は文章に関して、インプットもアウトプットもできない、オンボロの脳みそを持つに至ったということである。中の人が絡まなければこんなことになるはずはなかった。美しすぎる、と、また言われる。私が無能力となればなるほど、彼らにとっての醜い美は成り立つ。これでいい、とも言われた。もちろんその心は、これでいい、のではなく、それは私の無能力の証だ、という意味を含んでいる。だが、当然そうではない。彼らの妨害行為が私を見かけ上無能力にしているのである。もちろん私の私とはこんなものではない。私が私に戻ることができれば、頭は正常に機能し、文章がきちんと読めるようになるだろう。そして普通の思考力を持つことができるだろう。また、いいね、されたよ。どこまで行っても、私は地獄です。