山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。不謹慎ですが、あまり気を遣わないでください

精神世界では、古い価値観等を「手放せ」と、言う。すごくざっくり言えばそういうことだ。

しかし、手放しても、幻聴等でそれが迫ってくる場合は、どう手放せばいいのか。手放すということにはよほど高等なテクニックが必要になるものらしい。

私も、その、大いなる流れ、とやらを、感じてみたいよ。手放しても、強迫的に、迫ってくるのだよ。これはどうしてみてもどうにもならん。誰か手放す方法を教えてくれ。私はすでに何度も何度も手放したよ、今の私に必要のないことどもを。それが迫ってくるんだ、さっきも言ったけど幻聴等を通して。

それは、あなたには必要があるから訪れていることなのです。とか言われそうだな。しかしそういうものかな。であれば手放すこととはどんなものなのか、いまいちわからん。手放すべきものはそれだ、と普通わかるからこそ、手放せというメッセージも意味のあるものになるけど、こういう風に、自分自身ではわからないものならば、一体何を手放せばいいのかわからなくなるよ。結果として手放すことができてしまっていたものが、手放すべきものだったということになる。

こういう次第で、精神世界の言ってることって、本当に意味あるものかな。今の私には実感としてわかりにくいものだよ。明らかに古いとわかっている価値観を、強迫的に迫ってくるある種の見解群を、私は手放したいよ。そして新しい世界を作っていきたいよ。まあでも、本当は、そこに加わることが、許されてはいるのだろうな。何が障壁になって、私はそれができないのだろう。手放しても手放されないものたち。私の内的世界の一部となるものたち。ハロー。

いや、本当は、わかるはずなのだよ、手放すべきことは。まあ時が経つのを待ちましょう。それで何かわかってくるかもしれない。

スムーズに行かないものは、どこか間違っている、みたいな単純な原則をもとに、進んでいきたいような感じがする。複雑難解はいらない。私は私の人生を豊かに生きたい。それを許せ自分に。できるかな。なんかスピリチュアルっぽくて嫌でもあるんだけど、そんな感じであります。