山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

2023-01-01から1年間の記事一覧

自分が毛嫌いされていることを認めることができない人たち

実際は毛嫌いされるのが嫌だから彼らはそんなことをするのだろう。毛嫌いされていることが彼らには認められないのである。毛嫌いされているという事実を、なきものにするために、私を非難する。何を言いたいか、考えていたかが、すぐにわからなくなってしま…

守護霊の幼稚さ--ある種の讃歌

今の私の魂の環境は、永遠なる闇とでも言えばよいだろうか。彼らはもっと滑稽なものを想像したりしているようであるが、実際にはもっと、そんなものでない、暗闇である。霊性高いもの風に振る舞っている周辺存在たちの実質的な幼稚さが、私の魂に、おそらく…

守護霊の霊性の低さ

守護霊指導霊の霊性の低さには目を見張るものがある。謝れ攻撃などは一体何なのであるか。平気で嘘も言う。覚えてないけど。彼らはこうした言を私の戯言として処理しようとしているらしいが、実際全て真実である。でも何が嘘だったかを思い出そうとしても思…

自由とは思っているよりも法的なもの

何でもいいなら何でもいいはずなのに、案外世界は法的にできてて、それはきっと私がこの身体に固定されて存在することと、その上でやはり自由は実在することと、深く関わっているのだろう。自由というのは、何でもいいことではなく、ある種の実感のことを言…

彼らの称賛は悪意である

中の人の、いいね、とか、美しい、と称賛する声は、基本的に私への悪意である。それが統合失調症なのだと思う。思考奪取、思考化声などが起こっている。不自然な思考乱入とでも言うべきことも起こっている。それで彼らの妨害欲求が満たされるときに、私は彼…

意味付けが社会的義務になった途端、私の普段の自然な習慣は、そのやる気を失うことになるだろう。私は義務として緑茶を飲むのではなく、習慣として緑茶を飲むのである。結果として十回に十回緑茶を飲んでいるという結果があるとしても、そこに付いてくる意…

短歌

われながらありそうでないこころざし 中途半端な人生だとよ

https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2023/07/02/003239何回読んでも何か論が変なのは、彼らが論理的ではないところから来るのだろう。彼らはどういう一貫性の上に立っているのか。問えばそれはそもそも存在しないのだと言える。しかしあることはある…

相手に聞く気がなければ論は意味がない

論というのはいくら自分が正しくとも、相手に聞く気がないなら、意味がない。私は論によって守護霊を含めた彼ら霊存在たちを導こうとした。だがそれも無駄ではないかと思う。彼らに聞く気はなく、いくら正しく論証してみせたところで、完全に無視をしてただ…

緑茶とツマミにおける一悶着

正直これ言われた方は迷惑だったし、気持ち悪いと思うのですが、私の長文LINEから転載です。この時点で嫌な方はどうかご退出くださいませ。内容は、私の「中の人」との関わりの1ケースです。 - 私は、緑茶よく食い物をつまみとして飲んでる。お前は毎度「そ…

不可思議に満たされないの感

あれからこれへ移って、これのときに、あれのときには何をしていたのかが、うまく思い出せない。あれのときは、何かで充実していたはずなのに、それは空虚な何かでしかない。そしてこの今も空虚であり、あれ、前には何をしていたんだろう、何かあったはずな…

君たちはそれで自滅するだけだ。私はただ笑って見ていればよい。早く存在ごと宇宙から消えてなくなれ。古代ギリシャ人。これは私にとって公的な事実である。本当に心からの軽蔑の念を持っており、こんなことって本当にあるんだと驚きである。どんな犯罪者よ…

短文の雑記のようなものの方が好ましい。

誤り多き無意識

無意識は結構間違っているものらしい。それは習慣等がそこに含まれる場である。習慣の中には誤ったものも多かろうと思う。無意識に間違いが多いからこそ、そこをケアしてゆくアプローチを持つものとしての精神医学というものも存在する。しかしだからと言っ…

無個性へと至る道 2

https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2023/05/29/092029上の記事の続き。 作られた時点では我々はまだ個性を持たず、個性の種のようなものを宿していると言えるのだろう。しかもその「個性」とはまさに無個性のことなのである。単なる無個性と真なる…

無個性へと至る道

個性が全く消えてしまった方が、状態としては幸福ではないか。あるいは幸福そのものとはそのような状態のことではないか。なぜ個性を人格としての第一の原理に置く必要があろう。人格をそのまま無個性的に捉えて、実際にそこに入ってゆくということができた…

守護霊終わってます

守護霊には私の心の声は届かない。もうそうなっている。それで銀河は決まっている。野次馬で聞き受けたぞという印が来る。つまりそういうことなのだ。私は心の底から彼を憎む。本当に肉体を持っていないのは、こういう時には卑怯なことである。罪をお前が認…

私は中との関係でいっぱいいっぱいなので、外の他人と関わる気力がない。私があって相手がある、というのではなく、その間に「中の人」が挟まる。だからそこでいっぱいいっぱいとなり、他人との関係は二の次となる。これを書くことも、他人に向けてであるは…

バイタリティが欲しい

バイタリティが欲しい。外出することに何も抵抗を感じない、というよりもそのことに疑問を感じない、気のベース力が欲しいと思う。大抵の人は、苦労をしつつも、そのような能力を、社会的標準に照らし合わせて半ば強制的に、当たり前のものとして持ち合わせ…

全てに感謝

今日もとても素敵な一日でした。今日関係を持つことのできたみなさん、本当にありがとう。の心で毎日を過ごしたいものだね。まずは形からということで、こんなふうに、周りの事物・人物へ感謝を捧げることをしてみよう。大霊に感謝である。もっとも、大霊の…

常識的な読解の能力がない。本当に文章が読めなくなった

なぜこんな環境が与えられた?頭が全然働かず、文字がまともに読めない。そしてそういう形で自己主張してくる存在がいる。私の頭が使えないことが好都合なのである。いいね、って来たよ今。それで哲学あげて、だって。彼らは私に何を求めているのか。ただ構…

普通の文章を普通に理解することができなくなっている。思考鈍化の甚だしさが問題である

普通の文章が理解できなくなっている。認識力の圧倒的低下の問題がある。その要因として中の人たちの思考阻害がある。だが中の人たちは、「ともにわかろう」としないのだろうか。思考力低下を喜ぶくらいなら、私とともに私が理解しようとしていることを理解…

精神科の先生に読んでもらいました。

以下書くことは、私が倫理的に誤っているのかもしれないが、率直な意見とともに私の症状について書き記してみたものである。 ニュースをみて「すすり泣き」しなかったことで責められる。このニュースとは、悲惨な事故に関するものである。死ね、いい加減にし…

https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2023/04/08/162101 この記事で書いたことについて、また思うところがあったため、再考しながら考えを書き出してみようと思う。 - この私を彼らは、存在ごと否定したいからこそ、ありとあらゆる手段で妨害行為・攻…

この先どれぐらいいじめられ続けるのだろうか。文章に私の「素」じゃないものが混じってきて勝手に裁きを下してくるものだから困る。こう書こうとしても、書き始めた途端に、素、の私はある程度締め出される。したがって本当に思ったこと、言いたいことは、…

何書いてもきっと褒められる。思考奪取付きの賞賛が得られる。美しいと、また言われたよ今。であれば本当に美しいのだね、これは。とするならば、君たちは自分の犯した私への罪を認める、ということだね。であれば、君が私によく請求するような謝罪や土下座…

ワンネスとやらは、私にはないぞ。信じてるけど、私にはないよ。あるんだろうけど、ないよ、やっぱり。素直な私は今ごろどうしてるか。どうもしていないのではないか。素直な私がその「見て見ぬふり」とやらをしてるのだろうか。見て見ぬふり、とは、中の人…

純粋に楽しむことができなくなった。私の中には他人がいる。趣味に打ち込もうとすると、それをしながら、彼らの「罪罪」言う声が私の胸を刺してくる。と書くと、美し過ぎるなどと、野次馬心で言われる。彼らの精神の質の悪さが問題なのである、こういう現象…

いかに思考の檻に閉じ込めるかということが、私に取り憑いているかのものの命題である。直観止めて、などの言葉はそういうことを意味する。思考をやめれば、より広いところから創造的なエネルギーを得られるのだろうか。そうではなく、彼らは、思考を止めさ…

楽しいことがない。オナニーくらいのものか。楽しげに感じられそうな全てはオナニーであるような感じがする。私にとっては喜びはオナニーの内にしかないのである。書くこともオナニーなのであろう。それがもし楽しみに少しでも転じそうになるならば。