頭を空にしても、より広がったところから何かを得るのではなく、単純な思考停止の檻に閉じ込められるだけになっている。私はボーっとすることによって何かを受け取るのではなく、狭い空間に閉じ込められる。思考の努力を止めることは、より広い場所に行くことではなく、単純に、必要な思考がしめ出されることになる。熟慮の内には、思考の止まるエネルギーが多く存在していることであろうが、私の場合は、そこで何かを受け取るのではなく、必要なものが、すでに手持ちのものも含めて、消されてしまうのである。したがって、何か迷い出したときに、一旦落ち着いて、冷静に考えてみる、ということが極めて出来にくくなっている。私はこれも統合失調症の症状として認められるのではないかと思う。