物を何かとして「見立てる」ことが可能なのは、人間が表現的だからである。物の認識の多様さは、人間の表現能力の深さと結びついている。
表現的意味が媒介となって、表現における要素と要素とは響き合う。そこにある「意味」とは言葉によって簡単に言い表すことのできないものである。私はこの意味を感じ取ることによって、鑑賞という形であったとしても、この表現活動のうちに取り込まれてゆき、そこに参画することになる。具体的意味は、全て表現のためにある。
参考
田口茂「媒介論的現象学の構想」
https://heideggerforum.main.jp/ej9data/taguchi.pdf
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