2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧
形相の質料性を、主語となって述語とならないものと呼んでいいのではないか。形相の単なる形相性ならば、いくらでも気楽に、我々はこれを取り扱うことができる。しかしこれが現実に在るものであると言われるとき、形相的なものはナマの質料とののっぴきなら…
アイフォンのこの黒光りはフェルメールか
一物は小さな自己と考えることができる。対象認識的な物も、すでに自己であり、しかしただそのことが忘れられているというに過ぎない。だから対象と主体が相互独立的、対立的と考えられるとき、実際には主体自身の自覚的突き放しがここで行われていることに…
精神の因果律を高次物理的空間におけることとして見る。この場合高次ということを指し示す尺度が、五次元目としての観念軸である。観念軸の値が高いので、この現象は内的現象であり、そこ特有の因果律において物が作用するものと考えられる。単なるいわゆる…
夢に朝倉さやが出てきた。私と会話をしてくれた。どういう会話のはずみか、クイズをたくさん出されて、主に四字熟語を当てるというものだったが、私はまるきりわからなくて、「あなたは私の何百倍も賢い」的なことを私は彼女に言ったと思う。
ほんとはあついんだぞと空気がもの言うトラックの中から。
最近いろんな電動のものが長谷川白紙に聞こえてくる。掃除機のヒステリックなキューっというような音が、「死肌(しき)」あるいはそれに似た効果音のようなものに聞こえた。最近出た「行っちゃった」の特にイントロを想起させた。注意して聴いてみると、日常…
埋め尽くすことではない。充実した空白が必要なのである。埋め尽くすことによって表面的な安心感は得られるのであるが。また埋め尽くすことが、事情上の至上命題となることだってある。いずれも宗教的事情によるものと考えられる。その根底に何を置くか、空…
メルカトル図法の南極的一点を、形而上学点と呼んで、実在の自己同一そのものとする。実際にはこのメルカトル図法の地図は円状になっていて、円周そのものが南極点であるというあり方を私はここでは考えている。全ての経線はこの南極点に集約されるのだが、…
青くテカる車とデュエマ
欲の前には他の何ものも、一時的になくなる。睡眠欲の前にも他のものは、一時的になくなる。つまり睡眠中には意識がないのである。結局はこの欲と他の欲には程度の差しかないと言えるのではないか。つまり睡眠中も意識はないとともにあると言えるのである。…
空間を横に広げていったら、空間でないもの、というより高次的な空間に行き着くのではないか。あたかも環境がそのおいてある空間すなわち宇宙に包まれているように。環境も一つの全体性だがそれは空間の全てでなく、その外に宇宙が広がっている。それと同様…
https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2024/06/09/225839 に関連して。 逆に局所的に切り分けることのできないものが、空間にとってどんな存在か、そこの空間的因果律とはどんな関係を持つことができるかを考えればよい。例えば私の頭の中にだけある観…
時間を空間の軸に併存させることができるのならば、観念軸、思考軸などといったものもそこに組み込んでよかろう。あるいは理解軸とでも呼ぶのが適切であるか。実際の「現象」において常に働いているのは(あたかも時間がひとまとめに世界全体を動かすように)…
立体は常に平面より小さい。それが現れの本質であり、したがって非現れとしての概念として考えられるそれとは正反対のあり方をなすと考えられる。小さいものの方が大きいと考えられるのは、屈折が概念における大きさを指し示すからである。シンプルであれば…
物質はもともとその集合状態を予想している。それゆえに物理的状態から意識が生まれてくる。より正確に言えば、物理的物質そのもののなかに意識はすでに潜在的にある。集合的なものと言っても離れた個々の集まりでなく、集合的ということがもともと個々の中…
https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2024/05/28/194125 様々な諸対象を一つの立場から扱うことができる。これが作用が対象から独立的であるということである。これは一つの対象に限って見てもわからない。ある同じ立場が、異なるものにも同じ独立的…