山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。不謹慎ですが、あまり気を遣わないでください

災難が現に起こっているところでは、第一に同情の念が必要なわけはなく、まずは慌ててそれに対処しなければならない。そして被害がより少なく収められればそれが一番よいのである。結果として対処ができずに、実際の災厄となってしまった場合、最終的に同情的な場面が、あるところで立ち現れてくることもある。

私の中のスペイン人は、私の妄想のなかで、つまりボヤが起きるのではないかという空想のなかで、この心的作用の順番を取り違えた。彼らは、慌てて火を消す前に、災厄への同情心を(私の妄想の中でだが)持ってきた。あまつさえ、お前が悪い、と私に言う。私はこの空想のボヤに、反射的に反応し、火を消そうとした。それが人間として自然な心の働き方であるはずである。

こんな変なことが朝から起こったのである。特にこのわざとらしい同情心もどきの同調圧力というのは、本当に気持ちの悪いものである。とにかくボヤは急いで対処せよ。目の前に広がる火を見て、私の運命に悲劇的な思いを馳せる暇などあるだろうか。そんなナルシズム、そう彼らなりのナルシズムは、あまりに人間として不自然な振る舞いの様式であって、私はこの馬鹿馬鹿しさに耐えられない。

火は注意して扱うように。万一のことがあれば、慌てて対処することになるだろう。その際なるべく焦りを抑え、冷静になるべきであり、変な同情心など入り込む余地などあるはずもない。意味がわからなすぎる。