山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。不謹慎ですが、あまり気を遣わないでください

頭の中で思考を反復する回路が乗っ取られて、そこに無限シュ○○ケパワーがかかってくる。これで私は大混乱意識割れ状態に陥る。今それに陥って、そのことを書いている。

思考暴発状態とも言ってよいと思う。

混乱状態であれば、必ず、粗のようなものが出る。そこを捉えて論破とみなしてくる手段が取られる。これは中の人たちの話。粗のようなもの、というのは、大混乱の中での事であれば、まともに受け取るのは適切でない、と言うべき事柄のことである。

問題の論点らしきものはずれにずれ、最終的に、全部この私が間違っていることになる。守護霊は、「お前が悪い」と言い続ける。ハッタリであるが、私のこの思考暴発状態のために、たまにそれが現実の事実として実現しそうになる。まさにこの記憶があるために、何度も何度もハッタリをかますのであろう。

問題と言ったが、私の意識内で争われる、ある種の問題があることがよくある。今の場合、前から引きずっている問題、「けど」という語をいかに使うべきかという問題についてのことである。その問題についての詳細は語ることを避けたいが、私の思考暴発状態のなかで、論点はどんどん移行してゆくように思われる。最終的には、私が何らかのボロ、らしきもの、を出すことによって、私が間違っていることになる、という筋書きである。つまり、端をとらえて、全体の議論をごまかすという手法がとられる。この端、というのは、(少なからぬ場合)混乱状態がそうさせているのであって、思考の反復の正常回路が乗っ取られることが大きく関わっているものと思われる。うまく説明できないが、混乱状態のなかで反射的に、わざと間違った言葉遣いをするかのように私の我は振る舞う。わざと、論点をずらした先にあるような「ミス」へ私の我は辿り着く。そして私がその点において、見かけ上間違っていることにおいて、中の人たちは、議論に勝利する。このような流れである。私はその反射的に辿り着く先が「間違い」であることを知っている。私は、どういうわけか、わざと、そこへ行ってしまうのである。そして格好として、「私が間違っている」ことになる、という具合である。これは反射的に取る、相手への忖度と言ってよいのではないか。私が私自身において、正しい答えを知っていても、正しくならないのは、この忖度があるためである。今言ったことは、基本的に私に対して好意的な態度で書いているが、私に対して好意的な存在は、この内側には、私しか居ないようであるから、私一人で私を代弁するしかない。もう少し客観的な態度でこれを見れば、もう少し違った見え方となるはずである。ここに書いたことも、事実そのものと断言することはできない。私はあくまでも主観的な見え方について語っている。



結論:思考ちんぴらに囲まれている。