山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。不謹慎ですが、あまり気を遣わないでください

罪というものは一体どこに存在するのだろう。私の様々な行いが罪であるはずはない。そうだと決めてかかる執着する誰かの思念が、私の幽体にこびりついている。出したものは返ってくると言うが、この人たちにもそれは言えるのである。この人たちが不実であればあるほど、それだけ返ってくるものの質も知れたものとなる。現にこの人たちは、私からのポジティブなものを受け取っていない。それがまた因果応報ということでもある。なぜこの人たちは怒り続けねばならないのか。怒り続けるような現実しか、この人たちには与えられていない。私はそうでない。だから、罪の質が、この人たちと私とでは異なっていることになる。私はと言えば、怒り続けるというより、責められ続けるという現実を受け取っている。様々な件の行いが罪であるはずはないが、何か別の原因によって、カルマの結果としてこういうことが返ってきているには違いない。ただ件の行為については、私は何も罪がない。実際これを書いていて心が安らぐことを考えても、そこまで私に罪はないと言えるのだろう。だがこの霊団がしつこいことに関しては、何かしらの因縁があるのだろう。そしてこれが大きな悩みの種である。

私は心が安らかであるとともに、常に騒がしい。心の内野は平和であるが、外野が騒がしい。私を責める声は内的なものではなく、外的なものである。ただそれは内的を装ってやってくるのである。