色んなものが図に乗って色々なことを言うようになってきている。
こんな状況があるならば、自分にとって有益になるような声ばかりが聞こえる状況も可能であるはずなのだが、現実ばかりはそうはならない。そうでないものに限ってしつこくへばりついてくるものであり、不思議なことである。有益な声は、自分から求めて行かねば聴こえないものと思う。楽をし過ぎたということになるだろうか。このように書き出していってそうなるというのは、つまり書き出す行為の楽がこのような結果を生み出したということであるのだろうか。自分ではそのつもりはなかったが、あるいは避けられない帰結ということかもしれない。
同じ妄想ならば有益妄想に囲まれ通したい。正の観念で自らを律する正統的な倫理法の有効さを思い知る。かといって一日や二日でない怠惰が今すぐ変わるものか。