山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

変わりゆく制約のなかで今できることを探す

どのようなことができるか、その自由さは、結局は運次第なのである。運が悪ければ普通に出来ていたはずのこともできなくなってしまう。普通に出来ていたはずのことが、できなくなってしまうのである。運次第で。本当にこれは運である。無邪気に、明日も同じことができると思うな。運命は捻くれ者で、当たり前にあるはずのものが突然私のもとを去ることが普通にある。だから私の身の回りにある普通の行為可能性を信用するな。私はそれらを確実に確保しておくことはできない。その範囲で、つまり運の許す範囲で、できることをやっていくしかないのだ。運次第で、出来ていたことは突然できなくなる。私がこうして書いていることも、意志の力によるのでなければ、突然にできなくなってしまうであろうことの内に入ろう。こう書けていることは幸福なのである。ただし、こう書くことにもさまざまな運による制約が働き出しており、私はそれに翻弄されながらこの文章を書き出している。少し後に書こうとしていた字句を突然忘れて、その文を書けなくなるということが、普通に起こる。これは不運によるものである、具体的には私を取り囲む霊の仕業によるものである。ああ、まことに私は不幸である。まさに運次第で、当たり前にできるはずのことができなくなるのである。

今日もまた私の不運を嘆こう。書こうとしたことは忘れ、書いても文意が不明になり出し、全く呆れたものである。私のこの混乱を前にして歓喜の声を上げる連中が私の中にはいる。私の行為の全ては、彼らとの関係性のなかでの制約によって、その自由さが決まってくる。私にとってはそれは単なる運であり、彼らの気まぐれがこのことを支配している。

私は直接的な、単なる私の感情的刻印を、ここに伝えられたであろうか。やれることしかやれないのである。万事。

今できることはひたすらに進むこと。読み直してちんぷんかんぷんでも、とにかく書くことによって自分を救うことである。

毎度のことだが、私が文章を書きながら、これにつまづき出したりすると、すぐに私をゲイ認定してくる勢力が私の内にある。私は異性愛者であるし、文章の書き詰まりなどが性別の如何に関わるわけはない。彼らの観念は根本からおかしいのである。私はともかくそういう苦労をしている。それはきっと誰に訴えても伝わるものではあるまい。できることはそれをただ嘆くことなのである。