山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

2023. 11. 1

低層音楽幽界との繋がりか。

私の哲学的観念の発展に伴って、それを誤解する彼らの反応の表面において、そのことがはっきりとわかる。なぜなら、私はいつも程度の低い彼らを相手にせざるを得ないからであり、そのような顔を向けるこの私と考えるこの私とは同じものと認識されているからである。どんなにピュアな観念が私の思考を浮き沈みしても、彼らにとってのいつもの顔が、この私の観念に帰属するものとして認識される。

要するに、私は何か滑稽で間違えたことを考えている、その方向に突き進んでいると彼らはみなすのであるが、彼らは私の観念・概念を理解しているわけではない。夢想というその「方向性」にあるものは全て、取るに足らないものである、彼らにとって邪魔できるものである、と認識されているに過ぎない。彼らは私の偉大なる観念に全く近づくことはできない。低層より足を引っ張ることしかできない。

しかしただそれだけのことが、どれほど私の自然な思考活動の展開を妨げていることか。書けば書くほど、彼らのそのような働きを認めたことになり、ますます思考ができなくなるというわけである。だから逆に私はこのことを思考の練習に使い、そして禍をもたらすものの摘発を行おうと思う。真理は全てに現れているとかなんとか言ったような格言のようなものがあるが、私はそれを信じたい。彼らはなぜこんなにも低劣な輩であるのかという問題も、私にとっては真剣な問題である。



その上で話を進めよう。独我論的絶対過去というものは存在するのか。それとも真の過去においては、独我論的な立場は全く否定されてしまうのか。私は後者が正しい考えであると判断する。独我論的過去とは、「落とされた概念」によって、すなわち真時の忘却によって成り立つことのできるものなのではなかろうか。しかし「概念」の忘却とはどのように可能なのであるか。ここでは自己を自覚において忘却させねばならないのである。それは単なる忘却ではない。その自覚があっての忘却なのであり、ここでは意志というものがどこの場所にあるのかという問題が生じる。私の意志こそが意志なのか、それとも忘却によって生じた私そのものの意識とは異なる無意識にあるものが自己の意志なのであるか。*1自覚における忘却とはまことに不思議な問題である。自覚においては時は超えられている。しかし忘却においては我々は時の中にある。

派生して次のような問いに入ることができる。時を相対化するしかも時の中において起きるその観念は一体どこに自己自身の場所を持つのであろうか。我々が歴史的に時間を、しかも時間の中において眺めることのできるのは、何によって可能なのか。この観点・視点は一体何ものであるのか。時を眺めるものは、時に干渉する者でもある。我々は時の中にあるばかりでなく、そこにおいて行為可能である。行為可能である存在こそが現在というものを持つのであって、結局はそれによって「実体味のある」過去というものを持つことができるのである。行為は概念によってのみ可能であり、実体へ網の目を巡らすのは概念なのである。世界を世界として把握しその中に自己の位置を行為的表現的に定めることができるのは概念を持つ存在のみである。単に「その内」に存在するものは、このような世界をある体系を以って覆う網というものを持たない。それは網を持つのではなく、「網付けられている」とでも言うことができる。




脳のキャパオーバーのため、ここまで。

以下断章・メモ。

独我論の問題がまだ解決されていない。独我とはむしろ他我があるためにはそうでなければならないというものではないだろうか。 

・概念の忘却はむしろ、概念の自己実現のために必須の事象ではないか。絶対過去というものは存在するが、普通の過去が絶対過去でないところにも真実味が持たされることにおいて忘却が現れる。そしてこの真実味は被造物に与えられた特権のようなもので、それがために我々は無数のパラレルワールドの中の一つの「バイブル」*2のなかに生きることができる。真の絶対過去というものは、パラレルワールド全てを含めた更なる全宇宙の発展性とでも言うべきものにおいて存在するもので、バイブル全体の過去未来を束ねたその外側に更に存在する時間の絶対一次元的何かというものが考えられねばならない。

*1:自己というものに意識と無意識とが存在することは様々な事実から明らかであろうが、無意識なるものが他者であり同時に自己であるという点は興味深くまたその点に注目する必要があるだろう。つまり自覚における忘却という問題を考えるためには、このような二重性が深く掘り下げて考えられねばならないと思うのである。

*2:次の動画参照。https://youtu.be/pnPLGKLgbII?feature=shared多分これ。2ちゃんねるスレのまとめである。