山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

このようなおかしな想念がふさがる毎日から逃れる手立てはないのであるか。責めるもの、ぬるっと入るもの、様々である。死ぬことは考えた。死んでどうなるかは、わからない。期待するようなことはまずないであろう。死んで終わりになるわけではないことは知っている。その後、同じ状況のより程度のひどいバージョンを、もう一度生まれ変わって味わうことになる、など、様々な話をきく。本当にそんなものかわからないが、私の場合、一体それはどんなものなんだろう。この状況は、困難というよりも、慢性的な勘違い状態とでも言うべきもので、克服すべきものであることには間違いないのだが、一つの到達というものを描きにくいものである。どこまで行ってもぬるっとした自我は灰色についてまわるものだが、それが全ての原因だろう。意識の硬さや熱が味わえる局面からはすでに遠ざかって、あとは、ぬるっとした境涯があるばかりではないかと思われる。このような灰色ならば、意識はほぼないくらいであるのがそもそも望ましいのではないかと思われ、肉体的表現が不適当と思われている。一層肉体を脱いだ方が良いのであるが、その手続きの問題がある。自殺という道からは、魂の心地よさの境遇へは至ることはできないであろう。しかしそうせざるを得ないように与えられた状況の方は、天からどのような資格によって与えられたのだろう。