精神の荒廃というのは、幽界からの不倫利に長く晒され続けたことから来る状態ではないか。するとそこには一定の悪い人間関係が伴っていることになるので、人間関係のみ救って荒廃の悪しき弊害から逃れようとすることはそもそも不可能ではないか。荒廃そのものを変えなければもはやこの苦しみから逃れることは無理なのではないか。荒廃そのものは単に状態であるが、この状態が常に悪しき人間関係を伴わねばならないのだとすると、これほど絶望的な事態はない。この人間関係を取り除いても、また同じようにやられるようになってしまっているのではないか。あるいはそうでなく、まだ希望があるのかもしれない。
型が狂えば認識も狂ってしまうのだが、自分が荒廃しているという認識は存在しているので、まだ救いようがあるということにもなる。ただ現実にはこの奇形的状態を変えることはできないために、あとはそれとどのように折合いをつけるかという問題になってくる。単純に諦めよということかもしれない。幽界の不倫利の個々自体は、犯罪的ではあってもそれ自体そこまで病的なものではない。不倫利の当事者はあくまでも健常な個々の存在として登場する。だから荒廃した状態に、個々の分裂した健康が棲みついて勝手にし続けるという事態が問題なのである。宿主自身の納得というものがいつもなおざりにされ続けるという状況が常態化したものが精神病であると言えるのかもしれない。