山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。

正直、この人たちは、困っているのではないか。私が遭遇する、少し難しい事柄に対する答えを、彼らは何も持ち合わせない。ただ「直観捨てて」などと言うだけであるが、その代わりに何かやってくれるわけではない。ただの強がりであり、結局は、私が私自身の直観によって、責任を持って解決しなければならないことになる。それが毎度である。

マウント不全にはもうおさらばしたい。マウント不全よ、よく私の言葉を聞きなさい。


直観を捨てる、すなわち思考の努力を捨てるとは、本来頭をからっぽにし心を虚にした上で、天の心を使う、という大自然の理に則った行為であるはずなのに、彼らは、ただ自分勝手な憑依願望を満たすためだけに、この言葉を用いる。ただ問題は、そういう自覚すら彼らにはないらしいことである。目先のことしか見えていない印象があり、ただ目先以降のことをさも考え見通しているかのような格好をとるばかりである。要するに、わからなくて、困っているのであろう。わかるべきことがわからないことへ、恐れを抱くならばまだよいが、こういう狡い態度に逃れるとなれば、閉口のほかない。

それから、常にマウントを取ることのできる「口」がないかと構えているような印象がある。こうして書いていてもそうである。マウントを一時的に取れればそれでよく、目先以後のことは考えられておらず、そのために私は「直観を捨てて」、彼らの行動に疑問を持つことすら捨てなければならないのである。これは、全て彼らの無責任を表現している。