2025-01-01から1年間の記事一覧
わかるところから書く。 具体的なもの。他との境界がわからない。抽象的なもの。物を対象化することで人間から棒人間のように例えばその形を一般化したりすることによって他の物との共通性を最小の形で表現する。その最たるものが概念的表現である。言語表現…
川みたいな青舗道だコリャ緑に囲まれて
形式的限定にこだわっているうちは真の形式は表れない。真の形式は形式のないところにのみ自らを座する。信仰とは無形式の形式である。 ここで、では単なる無形式というものが形式を座さしめるものであるのか、そんなはずがないと言う者がある。単なる無形式…
一 形式というのは、ただそれだけだとそこにあるものに過ぎないから、それ自身によって現実を駆動させる力を持たない。形式が積極的に使われるとは、すでに形式的でない力の存在がそこにあることの証拠である。*1故に形式が強調されればされるほど、それを動…
あらゆる形式を打ち破るもの、すぐれてこれに打ち勝つものがある。それは考えないこと、理解しないことである。考えなくとも、形式はそこにある。であれば考えないことによって、形式の理解抜きに、形式を利用しその上に立って形式に束縛されず己を立てるこ…
働きを除外してもよい場所に安住するところから、対象的知識は生まれる。等速直線運動とは、働きを働きとしでなくその働きの意義を対象的に固定するところから生まれる概念である。働きという全体性を部分的なものとして枠付けする、働きを働きとして見ない…
必要なところでは必要ということは、根底はそうではないということである。だから形式の形式性が、必要なところでは必要というのは、かえって実在がその根底において形式的にはできていないということである。もとより単なる無形式というものは恣意的形式の…
一、「尺」概念から出発して 寸法は、空間的なものの同一性を保証するための手段である。我々が五次元という概念を客観的なものとして打ち立てるためには、五次元的な領域にこのような「寸法」なるあり方が客観的に適用できることを確かに論じる必要がある。…
「 [こころの時代] 数理科学者が語る脳から心が生まれる秘密 | NHK」 https://youtu.be/DsT7Ha2BDfo?feature=shared を観ての感想。 私はカオスをカオスとして認識することはカオスを「一点」にすることだと考えた。しかし点は点なのだから、この凝縮点はた…
例化尖端としての認識者。諸概念の抱き合わせとして外延が成り立つ。内包は概念がシンプルになる方向にある。エアコンに対しての、何か空気をコンディションするもの、大抵白であるもの、などといったように。エアコン概念はこれらシンプル概念どもの抱き合…
サイドミラーに映っては消える雫かな 対向車。
包まれたものが包むものを包むとは、包まれたものをはみ出し一次元と理解することによって考えられる。はじめに包むものというのは、実際には点に収斂してゆくものとして、時間というものを可能にするものとして存在する。空間が時の一次元はみ出しを可能に…
極めて興味深い動画がありました。 「隕石の衝突で日本語が滅びた世界に日本語の漫画が一つ残されていました」 By はちあ https://youtu.be/KM4xtzQ1B-w?feature=shared これに対して私なりに考え動画に書いたコメントを下に載せます。ただ動画そのものが面…
表面的な社会的な立場の奥にはまた、本音の別の立場がある。社会的な立場は社会的な機構を最適化させる形で作動するため、言動が形式的になる。その奥にある立場は、社会の内部ではうまく自己実現できないために、隠されたり少し歪んだ形でちゃっかり表現さ…
自傷的欲求についてこれから私が書くところは不謹慎であるかもしれない。 自傷欲求は一番深いところをみれば自己犠牲的精神に行き着くのではないかと思った。 利用されること自体の喜びというのは歪んだ感情だが、本来はどんなに利用されても許せるというこ…
言葉のもたらす劇に巻き込まれることが、意味を持たない、あるいは妨げとなるがために、同一の概念は、常に言葉を換えることによってのみ、同一であることができたということはあるであろう。私は、観るものが、観られる劇のなかに組み込まれており、観客が…
一 3/29 人は哲学者のように考えない。考えないでも、考えざるを得ない様々なことがそれぞれの人にそれぞれ与えられており、各人が固有の与えられ方をしているその時々の諸カテゴリーを行為的に綜合してゆくことにおいて、その人に現に与えられたカテゴリー…
春色の匂いかいだら遠くには香り聴いてる君がいるのだ
https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2025/04/21/151045 「身体を持って生きるという大事業」 今回は上掲のものの補論となる。 物体を自然の主語と捉える。機能を持たせるという意味での精神的な主語は人間の認識に依存するが、客観的自然の働きのな…
https://sanchurinshi.hatenablog.com/entry/2025/03/27/144017 「 『思う、故に、我あり』ではないか。コギタチオの明証その歴史的発見に関する新説(自称)」 今回は、上を受けての補論となる。 ある述語の実現においてそれよりも深い述語の存在がそこに示さ…
・虫たちが行き交いはじめた ・みどりのにおい、とおいこころのふるさと
まどろみのなかでも窓を割る私今日の仕事を繰り返してる
畑からと街からと山の違い 同じ白い稜線をたたえた春の山々も、どこから見るかで見え方が全然違う。ことに気づいたのだった。
一 1人分の心だけが存在するとき、自分の心の想像だけしか認識できない。この状況のとき、自分に与えられた認識は本能的なものばかりで、他人が出てきてもそれはただ偶然的なものであることになる。想像力は個人的でも、本能はあらかじめ全てを想像している…
あいわかりつぎのひにまたふあんでもまたそのところからあいわかる 相と愛のうた。
悲しみには必ずその対象への愛があると考えられる。愛したものほど失われるのが悲しいのである。かなし、とは愛し、とも書く。いとしいものは、常に何か根底に儚いものを持っていると我々には感じられる。いとしければいとしいほど、それは今このときにしか…
イオンから四月のかをりしてきたな
私のいとしの人が先日こんな動画を送ってきた。 絶対症状でググるなhttps://youtu.be/Vn_ZkI7-IZ4?si=qkHae2UIa6uYZuMo 実際にやばいケースもあるけど、これが真理なんだよね。想念というものはそれほど想念自身で操作できない、身体に作り付けられ取り付け…
瞼重く石は淡くて空くぼむ 朝詠む。
あるものか湯気と煙の混じりかど 白い吐息じゃそれはわからじ