山中臨死境

統合失調症です。格闘の記が主となります。不謹慎ですが、あまり気を遣わないでください

頭がうまく使えない。これを書いててもモヤモヤが頭を離れない。このモヤモヤが私の思考を邪魔するのである。実際にモヤモヤの執行者が私の内側にいる。彼はこれがレゲエだという風に言う。意味がわからない。それによると、思考がうまくできない、つまり頭が悪いのがレゲエだということになってしまうが、それはとんでもないことである。

ちなみに私は今、文法で言うところの「確定条件」という言葉の意味について考えている。「ので」といった言葉がその確定条件なるものを示しているとされる。なぜ「確定」条件なのか、といった問題について悩んでおり、私の思考はここでストップしてしまっている。例文として「雨が振るので傘を持って行こう」という文を考えて、それによって「ので」の「確定条件」性を考えているのであるが、この辺で頭のモヤモヤが激しくなって、一体何のことかわからなくなってしまう。

私がこうしてモヤモヤに、頭の悪さに苦しむたびに「いいね」といった言葉が聞こえてくる。これは私にとっての日常茶飯事である。この頭の不明瞭感を解決する策はないかと思案するが、この思案というものがこうしてモヤモヤによって妨害されるわけで、結局泥から泥へと私の思考はぬかるみに深く囚われ続けることとなるのである。本当にこのボケだけは解決して欲しい。普通程度の頭の働きが欲しいのである。これを受けて、レゲエの人は「いいね」と言う。彼は私のこの苦しみに対してそんな反応をする輩なのである。救いようがないと言った方がよい。

統合失調症の認知機能障害というのは、私の実感からすると、こうした「中の人」の積極的な干渉行為に依るところが大きいのではないかと思われる。実際今この文章を書いていても、謎の思考の空白状態が直ちに私を占領して来て、普通の思考の回路が機能不全を起こしたような状態になるのである。私はこのモヤモヤを誰に訴えればよいのであろうか。

ところで「確定条件」というのは、結局何だったのだろうか。こんな私にもわかる説明があればと思っている。

私の思考におけるこうした制約は制約として仕方なく受け止めるほかないのだろうか。思いつくことと言えば、妨害に関する徒然なることがらくらいであり、私はこの現状への不平不満ならいくらでも書けそうに思うのである。